大臣蒙毅は「道を用いて治むる者は罪なきを殺さず、罰は辜つみ無きに加えず(道に基づいて政治を行う者は無実の者を殺すことはしないし、罪なき者に罰を加えたりしない)」と言い、将軍蒙恬は「我天に何の罪あるも過ち無くして死するか(自分は天にどのような罪を犯したから過失もないのに死んでいくのだろうか)」と言った。

 蒙恬は罪があるとしたら、臨洮(りんとう)から遼東まで築いた万里の長城が地脈を断ち切ったことにあるかもしれないと付け加えた。始皇帝の命で成し遂げた誇るべき長城建設の功績を罪としなければならない不条理を、最期に訴えたのである。

 蒙毅は殺され、蒙恬は薬を飲んで自殺した。国外の斉から入り秦王三代に仕えてきた近臣蒙氏の子孫は、ここで断絶した。

朝日新書『始皇帝の戦争と将軍たち』(鶴間和幸 著)では、李信、騰(とう)、羌瘣(きょうかい)、桓齮(かんき)、楊端和(ようたんわ)ら名将軍たちの、史実における活躍を詳述している》

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