秦始皇帝の兵馬俑(写真:Zoonar/アフロ)
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 映画『キングダム大将軍の帰還』が盛り上がりを見せている。映画には登場していないが、秦王始皇帝を支え、統一戦争において多大な貢献をした将軍として外せない人物といえば、蒙恬だ。「キングダム」では頭脳明晰で爽やかなルックスを持つ若手将軍として描かれているが、史実においてはどのような人物だったのか。

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 映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは、著書の中で、蒙恬の「晩年の悲劇」について触れている。新刊『始皇帝の戦争と将軍たち ――秦の中華統一を支えた近臣集団』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。

【蒙恬の生涯と、統一後の史実に触れています。『キングダム』のネタバレにご注意ください】

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 蒙武の子の蒙恬は、統一後は畿内を守る内史の官となった。蒙恬の特筆すべき功績は統一後に三〇万の兵を動員して戎狄(じゅうてき)(匈奴)を追い、河南の地を収め、臨洮(りんとう)から遼東まで万里の長城を築いたことである。

 始皇帝が最後の巡行で病になったときに、蒙恬の弟の蒙毅は、山川に治癒の祈祷を行っている。蒙恬と蒙毅の兄弟に対する始皇帝の信任は厚かったが、蒙毅は趙高に死罪を下したことから、趙高は蒙氏一族の壊滅を図った。

 趙高は趙の国の王族の遠縁であったから、趙高と蒙恬・蒙毅の対立は、もとをたどれば趙の趙氏と斉の蒙氏の対立と見てもよいかもしれない。始皇帝の死後、臣下の大臣間の勢力関係のバランスが大きく崩れてしまった。

 二世皇帝は趙高の意志によって、先帝の忠臣であった蒙毅と蒙恬に死罪を下した。『史記』では始皇帝の遺詔と偽ったとされるが、『趙正書』では胡亥が即位してから兄の扶蘇とともに中尉の蒙恬を殺したとだけ記している。蒙毅は胡亥を太子に立てる先帝の遺志に反した不忠の罪、蒙恬は連坐であった。

 二人はそれぞれ収監されていた牢獄で発したことばが残されているが、二世皇帝には届かなかった。『史記』蒙恬列伝に残された二人の臨終のことばは、亡き始皇帝に訴えかけているように思われる。

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蒙恬の遺した「最期の言葉」