戦争がもたらす最大の恐怖は、平和な時の道徳が失われることだ。
戦争中では敵を殺すことが奨励される。また反対する者を憎悪し、安易に攻撃するようになってしまう。これはどの民族、どこの国民もが仕出かしてしまう過ちだ。なかでもナチス・ドイツのユダヤ人虐殺は、組織的に計画的に「根気強い」といっていい執拗さで継続的に行われた。
それでも、ドイツにもヒトラーに抵抗をし続けた人々がいた。学生や知識人、あるいは名誉を重んじる軍人、そして特に権力を持たない一般市民の一部が、ユダヤ人を匿い、亡命を手助けし、ヒトラーの暗殺を計画した。
しかし本書で強いインパクトを感じるのは、抵抗者たちの美談や戦時下にもあったドイツ国民の良識より、良識的な思考を保つ人々を追い詰めるナチスの「合法的」な手口の巧妙さのほうだ。
ナチスは「悪意法」を制定し、国家と党に対する「悪意ある攻撃」を犯罪と定め、「ユダヤ人救援」は証拠を調査しなくても起訴できるようにした。こうした体制に眉を顰める者もいたが、多くはヒトラーを支持し続けた。
ナチスは曲がりなりにも選挙を通して政権を手にした。第1次世界大戦後の屈辱感と不況にあえぐ人々は、ヒトラーに問題解決を望み、実際にある程度は満たされた。ヒトラーの第一次四カ年計画で失業者は3年で601万人から155万人まで減り、国民総生産は約50%も上昇した。
戦争で配給制になってからも、ドイツ人の生活はさして低下せず、割に安定していた。空襲で家を失った人には、ユダヤ人から奪った住宅や家財が提供された。それを人々は歓迎したという。
衣食足りて礼節を知るというが、衣食の前には礼節を忘れるのもまた人間だ。多くの国民大衆はナチ体制の受益者で、人種政策にも加担した。もし自分だったら……。
経済状態優先でほかは無関心、時流に同調してしまう人は、今の日本にも多いのではないか。
※週刊朝日 2016年2月5日号