初出演が2003年で36歳の時だったんですが、僕の中で一生忘れられない出来事ですね。初出場で初優勝して。当時は全然仕事がなかったので、ボクシングのロードワークで走り込みをしていました。優勝した時に、「この番組で10年頑張ったらもう一度復活できるかもしれない」とピンときて。ボクシングジムを辞めて、陸上をもう一度真剣にやろうと覚悟を決めました。あの時は毎日練習していましたね。

 でも、沿道を走っていても声援が全然ない。テレビを見ている人からしたら「誰だ、あいつ」という感じだったんでしょう。潮目が変わったのは14年の春です。このときは家族で走るリレー方式だったんですけど、「頑張れ!」って応援してもらえるようになって。16年、19年に優勝して、昨年出場して20周年になりました。まだまだ必要とされる限り走り続けますよ。

2019年のオールスター感謝祭で優勝したときの森脇健児さん(事務所提供)

「1日10キロ、週5日走っています」

――マラソンやランニングのイベントに呼ばれる機会が一気に増えたそうですね。

 芸能界の神様がほほ笑んでくれたんやなと思っています。07年に東京マラソンが始まって、08年にドキュメントバラエティー番組「走る男」(東名阪ネット6)で北海道から沖縄まで走って、その後に地方でマラソン大会がブームになって。やりたいことと、仕事の需要がうまくかみ合いました。自分は幸せ者だと思います。今でも1日10キロ、週に5日走っています。走ることが好きなんですよ。

――コロナの感染が拡大した時期はイベントの中止が相次ぎました。このときはいかがでしたか?

 近所の山で毎日走っていましたね。30代のときは仕事がなくなった僕だけどん底だったけど、コロナのときは世界中がつらい状況でした。コロナは絶対に終息するし、今は蓄える時期だと思って走り込んでいました。

森脇健児さんの練習の様子(事務所提供)
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三浦カズ(知良)さんと同じ57歳