勝手な言い分だが、もし、蓮舫氏の女性人気が小池氏ほどないのだとしたら、こういうところ、なのかもしれないと思う。蓮舫氏が、というよりは、蓮舫氏が背負う世界のどこかマッチョな左翼臭さ、というか。少なくとも私が聞いた選挙カーの声からは自分たちのリーダーになるかもしれない女性に対する敬意のなさがにじみでていた。「あの顔で〜」(←文脈上、怖い顔で、という意味であろう)と言いながら、本当は怖がっていない。「あの顔で〜」と、候補者を顔一つで表現するような応援演説は、女性候補者にしか与えられない表現だろう。
SNSでは「社会を変えたい」という若者たちや、一人で街に立ち蓮舫氏への投票を訴える若者たちの動きが広がっているように見える。一方で、小池氏への嘲笑や貶め方に興じるリベラルな人たちの投稿も多く見られる。いくら正しいことを言っていたとしても、“そういう差別”に女性たちは敏感だ。“そういう差別”に日常的に晒され疲れている女性たちの直感のような嫌悪は、バカにできないのだ。
ふと、8年前、小池氏が圧勝した都知事選と、構造的にはあまり変わっていないのではないかと不安がよぎる。8年前、リベラルな政治をのぞむ人々は鳥越俊太郎氏を擁立した。その後、週刊文春が鳥越氏のセクハラ問題を報じてもなお、ふだん性暴力被害者支援をしている団体や、著名なフェミニストたちはこぞって「まずは、政治を変えなければ」「分断している場合ではない」と鳥越氏支持に回った。あのとき、無党派の女性支持はほぼ小池氏に回り、圧勝だったのだ。しかも、ありったけのリベラル著名人が応援し、支持母体がありながらも、鳥越氏は2位ですらなかったのだ。
当然だが、蓮舫氏は鳥越氏の状況とは全く違う。ただ、投開票1週間前の調査で、30~60代の全ての層で女性からの百合子人気が高いという事実について、リベラル政党の人たちにはぜひ考えてもらいたいと思う。なぜ、弱者に厳しく、女性にだって決して優しくなく(というか興味なく)、残虐な歴史を直視せず、キラキラしたイベントに予算を費やし、都心の歴史ある自然を破壊するような計画を立て、公約を完全には一つも守っていない都知事なのに、小池氏のほうが蓮舫氏より良い、という女性がこんなにもまだいるのかという事実。