女性票というのが一言でどういうものかを言うのは難しい。それでも、女性たちは直感的に、リベラルの人たちが言う「正義」や「正しさ」が、時に女性を守るものではないことを知っているのかもしれないとも思う。政治は変えたい、が、結局、右も左も結局は女性に冷たい、関心がない。むしろ、たとえばAVに抗議したときに真っ先に「黙れ」と言ってくるのは保守ではなく、「表現の自由派」の左翼男性たちだったりする。性犯罪刑法改正を訴えたとき、真っ先に「黙れ」と女性を叱りつけたのは、リベラルな弁護士たちだったりする。女性たちが「私たちは女性だから被害にあっている。これはミソジニーであり、フェミサイドだ」と声をあげたときに、「左翼男性だって同じ目にあっている。女性であることを主張しすぎないほうがいい。男性との分断になる」と声のトーンダウンを求めてくるのは、残念なことにリベラルな女性だったりする。「女性の怒り」「女性の悔しさ」をトーンダウンさせる力に、右も左もないのだ。
先日、私のポッドキャストにこんな投稿があった。
コロナ禍で出産した女性だ。予定よりも数カ月早い帝王切開での出産だった。通常ならば帝王切開後にはプッシュ式の麻酔を女性自身が追加して痛みを和らげられるのだが、緊急手術で事前同意がないことを理由に麻酔を取り上げられ激痛に苦しんだ。その後、乳児は入院したがコロナ禍のため、母親以外は面会禁止など厳しい制限がかけられ、父親はほとんど会えないまま子は亡くなった。そういう中で、東京五輪が開催された。その女性は「オリンピックを強行した当時の政府を許せない」とメッセージをくださった。
小池氏は都知事でありながら五輪を中止・再延期する姿勢は一切見せず、「五輪はおうちで観戦を」と言っただけに等しい。「五輪より命を」と訴える都民の声は一切届かなかった。それでも、そういう小池氏のほうが女性に人気がある。それはなぜなのか。それはもしかしたら「百合子さんがいい」というよりは、今の地獄と新しい地獄、それならば、よく知っている地獄のほうがつきあいやすい……という女性票の深い絶望なのではないかとも言えるのではないか。
まだゆらゆらしている女性票は決して少なくないはずだ。女性票を甘くみてはいけない。