不器用でも余すところなく「体験」を味わう(イラスト:サヲリブラウン)
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 作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。

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 にんじんや大根や果実の皮、ブロッコリーの芯など、本来なら捨てる部位を上手に調理する市井の人がいます。生ごみをできるだけ出さず、食材を余すところなく使うことは、丁寧な生活の代表例。ちなみに、私はそういうこと全般が不得手です。ブロッコリーの芯は味が好きだから食べる。

 さて、不器用な私にも「余すところなく味わう」が得意な分野がありました。プロレスです。その話ばかりしているけれど、体験を味わう点において、私はある種の食いしん坊だと思うに至ったのです。

 先日、とあるリーグ戦を観に愛知県尾張旭市まで行きました。名古屋駅から電車で45分くらいの三郷駅から徒歩10分。会場は国道沿いの中古車販売店の駐車場。100人にも満たない観客のほとんどが近隣住民で、東京から来ていたのは私だけだったかも。

 なぜそこまで行ったかと言えば、観たい試合があったから。しかし、「観たい」という欲望は、私をここまで連れてくるのだなと他人事のように感慨深く思いました。

 試合が観られたこと以上に、出張でしか来たことがなかった名古屋でローカル線に乗り、知らない住宅街をひとり歩いてじっくり様子を味わうのは、この上なく贅沢な時間でした。お膳立てされた観光地は巡らず、たどり着いた道の街の住人に擬態するのも楽しい。

 村のお祭りムードで行われる大会を観ながら、スポーツ、演劇、お笑いなど興行ベースのエンターテインメントは、駐車場から東京ドームまで開催の規模が無限だと改めて実感しました。このシステムを生み出した人間すごい。実は前日にも栃木県庁前の広場で行われた大会を観に行ったのですが、リングを囲んで生まれる緩やかな連帯は非常に平和的で、同じテーマをもって集う人々が生むエネルギーもさまざまだと感心しました。

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ジェーン・スー

ジェーン・スー

(コラムニスト・ラジオパーソナリティ) 1973年東京生まれの日本人。 2021年に『生きるとか死ぬとか父親とか』が、テレビ東京系列で連続ドラマ化され話題に(主演:吉田羊・國村隼/脚本:井土紀州)。 2023年8月現在、毎日新聞やAERA、婦人公論などで数多くの連載を持つ。

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