毎年12月17~19日に、東京の浅草寺境内では「羽子板市」が開かれます。
江戸時代から続く羽子板市ですが、もともは日常の生活用品が売られていた「歳の市」に、
新年を迎える華やかな正月用品が加わり、中でもとりわけ羽子板は人気が高かったため、
いつしか「羽子板市」と呼ばれるように……。
一説には、人気を引き寄せた立役者は「歌舞伎」の存在だったという説もありますが、
今回はそんな年の瀬名物「羽子板市」の人気の秘密に迫ります。

鮮やかな羽子板が並ぶ浅草寺の「羽子板市」
鮮やかな羽子板が並ぶ浅草寺の「羽子板市」

羽子板は女の子の縁起物

あまりイメージがないかもしれませんが、羽子板はもともと女の子に贈るものだったことをご存じでしたか?
お正月名物「羽根つき」は、江戸時代以前から行われていたと言われていますが、その時代から女の子の遊びとされていました。
いつしか、赤ちゃんが生まれて初めて迎える「初正月」には、女の子には羽子板を、男の子には破魔弓を贈るという習慣が生まれ、女の子へのプレゼントだった羽子板には「赤ちゃんのお守り」という意味合いも含まれているのです。
ちなみに、羽根つきに使う玉は「無患子(むくろじ)」という大木の種を使い、「子どもが患わない」と書きます。
このことからも、子どもを病気から守るようにという願いが、羽子板に込められていたことがわかります。

羽根つきの玉「無患子」にも意味があったのですね
羽根つきの玉「無患子」にも意味があったのですね

羽子板は江戸時代版アイドルうちわ!?

羽子板市で売られている羽子板の原形は、江戸時代にさかのぼります。
江戸時代末期になると、当時大人気だった歌舞伎役者の舞台姿の似顔絵を貼りつけたものが登場。
年の瀬に開かれる歳の市には、その年に当たった人気歌舞伎役者の羽子板がずらりと並べられたのです。
中でも人気を博したのが浅草寺の歳の市。現在の羽子板市のルーツですね。
当時、年の瀬の歳の市が開かれると、江戸中の女性たちがこぞってお気に入りの役者の羽子板を買いに出かけたというのです。
まるで、現代でいうアイドルうちわのようなもの。その売り上げが人気のバロメーターとされていたのです。

江戸時代に定番となった歌舞伎役者の羽子板
江戸時代に定番となった歌舞伎役者の羽子板

今話題のあの人も羽子板に……

現代の羽子板市には、様々な羽子板が並べられています。
昔から伝わる歌舞伎役者の似顔絵を押絵細工にした「押絵羽子板」は今でも羽子板市の主流です。
その他にも色々な種類の羽子板があります。
小ぶりでかわいらしいサイズの「豆羽子板」、自分で自由に絵が描ける「お絵かき羽子板」など……。
さらに、ニュースなどでもよく取り上げられるのが、その年の話題の人をモチーフに作った「変わり羽子板」。
きっと今年は、五郎丸歩選手の羽子板を買いに浅草を訪れる女性も多いことでしょう。
── 女の子を守るために贈られる羽子板、女性自ら買いに行く羽子板……。
いずれにしろ女性にとって縁起物であることに変わりはありません。
12月17~19日に浅草寺境内で開催される羽子板市。皆さんもでお気に入りを見つけてみては?