音柱・宇髄天元。新宿駅地下・メトロプロムナードの大型広告より(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

柱稽古に参加した宇髄の「思い」

 猗窩座の出現以降、当然のことながら、今後続くであろう「上弦の鬼」との戦闘が予想された。自分の力で、人々を救うことができるのだろうかという不安が炭治郎の胸をよぎる。 

「煉獄さんの代わりに 俺が死んだら良かったんじゃないかと思った 煉獄さんならいつか無惨を倒せたんじゃないかって でも」(竈門炭治郎/15巻・第131話「来訪者」)

 でも、と炭治郎は思い直す。煉獄は死の間際に「今度は君たちが 鬼殺隊を支える柱となるのだ 俺は信じる 君たちを信じる」と笑った。あの姿を忘れることはできない。宇髄も炭治郎も、自分が煉獄の代わりになどなれないことは分かっている。それでも戦い、鍛え、柱稽古を通じて、「自分の役割」を果たすことを誓う。左目と左腕を失った宇髄が、引退しつつも柱稽古に参加することには、煉獄への思いがあったはずだ。柱稽古が始まる時、きっと誰もが煉獄のことを思い出すだろう。

生き残った者の責務

 不死身に近い鬼と同等の力を発揮するために、鬼殺隊の人間たちは、力を出し合い、助け合うしかない。これから突入する地獄のような戦いの中で、剣士たちの心を奮い立たせるのは、もういなくなってしまった仲間たちの思いを継ぐこと、そして、生きている誰かの幸せを願う強い思いだ。生きることは、誰かの代わりになることではない。

 柱稽古編では、生き残った者たちの日々のささやかな幸せが描かれる。そして、笑顔の影にある苦悩と、大切な人たちへの愛情のエピソードが重ねられていく。

 鬼殺隊最後の戦い「最終決戦」を前に、この「柱稽古編」が描かれたことには、とても重要な意味があることを覚えておきたい。

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