中学に入ってからはゲームを作らなくなっていった。それから20代前半までは、ひたすらゲームをやり込んだ。いわゆる“ネトゲ廃人”だったという。
「ゲームをして満たされたい。それがすべてでした」
でも、お笑いも、バイトもしなければならない。必死にゲームの時間を割いた。
ずっとプレーヤーだった野田さんに転機が訪れたのは、25歳くらいのときだ。
「お笑いライブの企画で、ネタ以外の何かを作ることがあって、ゲームを作ってみようかと思ったんです」
どうやって作るんだろう。調べて、プログラミングをやってみることにした。
まるで暗号のような英数字を打ち込む。一つ一つの動作に指示を出して、ゲームを組み立てていく。
「プログラミングは、パズルなんですよ」
コードを書いて、動作させる。でも、コードを1文字書き間違えただけで、エラーが出る。エラーを見つけては消していく。
わからないことを掲示板で書き込んでは、「ggrks(ググれカス)」と書かれる。
作業を繰り返してなんとか完成させたのは、文字と野田さんの顔写真だけが出てくるような素朴なゲームだった。
「それをライブに出演した芸人にプレーしてもらったら、ネタより受けたんです」
それからは燃えた。こんなゲームを作ったら、盛り上がるんじゃないか。ゲームを作る芸人はいないから、開拓し放題じゃん。考えたら落ち着かなくなった。
ゲームを作っては、ライブ会場で芸人にプレーしてもらった。すると、必ず受けた。バグが発生することもしばしば。
「これをすると、何もしなくてもクリアしてしまう」と致命的とも思えるバグが判明したときも、「なんだこれ」と笑いに変わった。
■先輩芸人の一言で再開
シューティングゲームなのに、「この場所にいれば、弾が当たらない」と判明したときも、会場で笑いが生まれた。急きょ「ここにはいないでください」と新しいルールを作っていく。
「むしろライブの現場で、バグが見つかるのが、結構面白かったりして」