――ただ、石原裕次郎さんより、“渡、一筋”の舘さんに、渡さんは少し気をもんでいたところもあった。

 僕は渡が大好きですから、意識的に石原さんのことは見ないようにしてきたんです。現場でのあいさつも、まず渡からしていましたから(笑)。また、ほとんどの人が石原さんのことを「社長」と呼んでいましたが、僕はずっと「石原さん」。社員でもない僕が「社長」というのもおかしいかな、と思ってのことでしたが、そんな僕の態度を渡は心配していたんですね。入社するとき渡の自宅に呼ばれて「ひろし、お前は“渡プロ”に入るんじゃない。石原プロに入るんだぞ。わかってるな」と何度も念を押されました。暗に社長と呼べということなんですけど、渡もはっきりとは言えないんですよ。だから噛んで含めるように「おまえは石原プロに入るんだぞ」と(笑)。そして「これからいろいろあるだろうけど、お互いに傷を舐めあっていこうな」と言いました(笑)。

――渡さんの計らいで、毎年恒例の石原プロのハワイ旅行で、舘さんだけ居残り、裕次郎さんの運転手を務めたこともある。そのときには素直な思いを打ち明けた。

 もちろん、石原さんと仲が悪いわけじゃないんですよ(笑)。石原さんはとても大きな方ですから、そんな僕の態度をとがめることなんて一度もありませんでした。ハワイでは必然的にいろいろお話をして……別荘に小さなバーがあったんですが、僕はカウンターにあったボトルやグラスを直線上に三つ並べて説明したんです。「これ(一番前)が社長です。次に渡さんがいます。その後ろが僕です。僕は渡さんの背中をまっすぐに見てついていっています。渡さんは社長にまっすぐついていっています。だから僕は社長が見えなくても仕方がないんです。斜めに立てばお二人が見えますが、それはしたくないんです」と。僕のこの話を社長はよくわかってくださって、それからは、かわいがってくださいました。

――石原裕次郎、渡哲也という大スターから、俳優として男として様々なことを教わった。ヒット作にも恵まれ、人気俳優として長く活躍を続けているが、肝に銘じていることがある。

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