もういちど会っておくんだった、と思うことがときどきある。会いたい、会わなきゃ、と思ううちに月日が流れ、訃報を聞いて悔やむ。年齢を重ねると、そんなことが増えた。
「会いたいときに、会いたい人がいてさ、会えるんだったら、ぜったい会っておいたほうがいいと思うんだよね」
 川上未映子の『あこがれ』に、こんな言葉が出てくる。語るのは小学校4年生の女の子だ。なんて、賢いのだろう。
『あこがれ』はふたつの章に分かれた長篇小説だ。第1章「ミス・アイスサンドイッチ」は、小学校4年生の男の子、麦くんが、パン屋の女性店員が気になってしかたないという話。麦くんは毎日のように女性店員を見にいき、サンドイッチを買う。しかし、あるできごと以来、パン屋に行かなくなる。逡巡する麦くんに、同級生のヘガティーが先のようにアドバイスするのだ。ヘガティーというのは麦くんがつけたあだ名だ。
 第2章「苺ジャムから苺をひけば」はそれから2年後。ふたりは6年生になっている。こんどはヘガティーが語り手。彼女は父とふたりで暮らす。母はヘガティーがまだ幼いときに死んだ。ある偶然から、父は再婚だったこと、最初の妻との間に娘がいることを知る。ヘガティーはこの半分血のつながったお姉さんをちょっとだけ見てみたいと考える。
 1章と2章は、ずいぶん雰囲気が違う。1章はまるで詩のような文章が連なる。無垢な少年と、大人びた少女の対比が楽しい。ヘガティーの父は映画評論家で、彼女も映画をよく見る。マイケル・マン監督『ヒート』の銃撃戦シーンを、映画とそっくりに演じてみせることだってできる。
 1章に比べると2章のヘガティーは、わりと普通の女の子だ。それは2章がヘガティーのモノローグであり、また1章から2歳成長したからでもある。2章を読み終えて、また1章を読み直すと印象が変わる。本の中の登場人物には、何度でも会える。

週刊朝日 2015年11月20日号