ホテルや部屋の数などどんなことでも数字がどんどん口から出る。小さいころから算数や数学が好きで得意。過去の決算の内容も、当然、忘れていない(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年 4月15日号より。

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 2002年から03年、グアム島にあったグアムホテルオークラへ旅行する社員に、宿泊費の半額を補助した。上限は5万円で、3日間の旅行なら飛行機代をもつ形だ。グアムでは観光客の伸び悩みや台風被害などで、苦境が続いていた。宿泊数が増えれば、運営効率が上がる。「建て直しの一助に」と考えた。

「本体」と呼ぶ東京都港区のホテルオークラ(現・ホテルオークラ東京)もバブル崩壊後、1993年度から赤字が続いた。98年10月、全社的な業務改革本部が設置され、立て直し策が諮られる。その本部へ、グループ会社への支援などを担当していた事業部調査課から呼ばれた。

 運営の効率化と、社員たちの福利厚生や設備の維持などにかかる固定費の圧縮を、受け持った。財務の改善も図り、99年3月期は経常黒字へ転換させる。課長になる前の30代半ば。そんな大役を任されたのは、本部へ行く半年前に手がけた、やはり苦境にあったオークラ神戸の再建案が評価されたためらしい。業務改革本部は99年末に解散したが、調査課で、さらに収益改善策を進めた。

 オークラ神戸へ赴いたのは部長の指名で、2人で朝から夕方まで小部屋に籠り、約50人いた管理職全員から聴き取りを重ねる。89年の開業以来赤字で、増資や投資でようやく上向いた矢先に、阪神・淡路大震災が起きた打撃でまた落ち込んでいた。

「戦場」での仕事に上司が指名してくれやりがいを感じた

 聴き取りは1人1時間から2時間、状況と改革すべき点などを聞く。8時から始めても、合間にデータの収集もあり、1日に多くて4人。相手は全員、年長者だ。東京の事業部には先輩たちもいたのに、なぜ自分を指名したのか。行きの新幹線で部長に尋ねると、「これから、戦場へ向かうようなものです。だから、信頼できる相手を連れていかなければならないので、お願いした」と言った。やるべきことの重さを痛感し、やりがいも感じた瞬間だ。

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