では、ブラックアフリカとホワイトアフリカが反目しあってきたかといえば、そんなことはない。サハラ砂漠が巨大な壁となって南北を隔ててきたことは間違いないが、サハラ砂漠は交易の媒介者でもある。サハラ砂漠は、しばしば海に例えられる。砂の海に続く幾千kmもの交易路を、金や岩塩など様々な物品が行き交い、人々自身も盛んに行き交ってきた。
サハラ砂漠に接する国々を訪ねると、ブラックアフリカとホワイトアフリカが共存していることがよくわかる。
2013年、ブルキナファソからマリへ一路バスで入国した際のこと。マリ側で入国審査を終え、手荷物の検査を受ける段になり、小さな違和感を覚えた。カバンを検査して回る検査官は、口ひげを蓄え、頭に長い布を巻いた出で立ちの白人男性。他の入国管理官はみな黒人だった。これまで黒人ばかりのブルキナファソに滞在していたこともあり、白人男性がこの場にいることを頭の中で咀嚼するのに、少し時間がかかる。
マリは、南北に長い国だ。北部の多くはサハラ砂漠に面した砂漠地帯であり、白人のアフリカ人も暮らしている。ブラックアフリカに位置しようとも、白人と黒人が同じマリ人であることに変わりはない。その当然のことが、極東アジアの島国からやってきた私には、瞬時には飲み込めなかったのだった。
つい先日、アフリカのある国の外交官と話をする機会に恵まれた。相互理解と互助について、そして北アフリカとサブサハラについて、互いの想いを語りあう中で、その人はこう話していた。
「私たちは、(植民地化という)大変な思いを経て独立に至りました。同様の経験を、ほとんどのアフリカの国々は共有しています。ですから、困った国があれば、助けられるのであれば、同じアフリカの者として、常に助ける用意があると言える自分でありたいと、私は常々思っています。(私欲のために)困った国を前にして手を差しのべないなんて、私には考えられません。アフリカの中で争うなんて、無意味なことです。北から南まで、アフリカの国々は、互いに同胞であるはずです」
気候、植生、人種、文化など、どの側面から見ても、アフリカには様々に異なる色がある。それらをすべて束ねて、アフリカと言ってしまうことは難しい。できる限り正確にアフリカを伝えるために、適宜分類して論ずることは、やっぱり不可避だ。しかし同時に、アフリカの人々と言葉を交わしていると、この外交官が語ったような、揺るぎない連帯感を感じることは少なくない。いかように分類しようともアフリカはアフリカなのだとも、時に、思う。アフリカはひとつとの想いに触れたときには、私もまた、「アフリカは」と語りたい想いに駆られてしまう……。
ホワイトアフリカとブラックアフリカは大きく異なりながらも、同じ地続きのアフリカでもある。両方あっての、「アフリカ」だ。
岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。
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