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23年後。大人になった私は、いま地方の学校を回り地方創生の仕事をしている。たまに北海道のはずれにある、小さな高校で授業をみせてもらうことがある。

「皆さんが大人になる時代は、VUCAと呼ばれ、人生100年時代です。社会人になって、よくもわるくも定年後も働き続けなければいけません。また、日本は急速に進む少子高齢化社会なので、皆さんが沢山働いて溢れる親世代を支えていくような構図になるでしょう。皆さんは年金も貰えるかはわかりません。そんな時、こんな時代を乗り越えるために『協働性』や『自主性』が大切になります。皆さんには、高校時代に、是非この力を養ってほしいと思っています」

地方の学校の小規模教室で、ある先生が、新1年生の学年集会で言葉にしていた。

私は初めてこれを聞いた時、「こんなの聞いて、わくわくする人なんているのだろうか?」と疑問に思ってしまった。たしかに今の現実を映した言葉だ。
「親世代のため」「社会のため」という言葉が、どうしても義務感に聞こえてしまう。それから、極端にいえば、高齢化した親世代のツケを今の若者が埋め合わせするというような、負の遺産の循環のようにも……。

自分の身の置く社会は安心安全なんかでなく、すでに決まっているマイナスをゼロにするような冷めて硬直した現実なんだ。とハッとさせられた。

「自分たち日本人は相対的に恵まれているから、1人1人が世界に目を向け行動し貢献しよう」と育ってきた私からすると、今の学生たちは、学生時代からこんな現実に直面せざるを得ないんだと頭を抱えた。
 

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少なくとも私が子ども時代を過ごした20年前までは、日本はGDP世界第2位で、親世代に「アメリカに追いつけ追い越せ」の潮流が少しは残っていて、学生の私は、地球上で「恵まれているから」自主性や利他精神に、個人の生活よりも必然と社会に、目が向くような環境にいた。だから、大胆不敵に挑戦できたんだと振り返った。

課題先進地といわれる日本の地方の果てで、時代は変わったと思った。
もう「9.11」で積極的に世界平和を願いアクションするような日本でもないんだ。むしろ日本人に生まれたからこそ、個人の生涯を本当に自己責任でマネジメントしていかなければならず、「世界が」と言っている余裕はないんだと見つめ直した。

しかし、今の日本の若者が、そんな環境に置かれているからこそ、手の届く範囲の日々の小さな挑戦を誰かと一緒に楽しんでいく。手触り感ある地域や社会を自分たちの手で少しずつ作っていく、地域や共同体に絆をもたせ、貢献意欲をもてるように仕事する、他者と協働して新しく創造していく……。それが、願わくば世界にまで繋がっているといいな、と日本の地方を仕事で巡り思い直した。
 

「かがみよかがみ」での掲載ページはこちら(https://mirror.asahi.com/article/15171302)。

「AERA dot.」鎌田倫子編集長から

 ニュースもいつかは過去になり、ただ過去のニュースは今につながっている。読み手の足元から延びていくような時間軸と空間の広がりを感じさせます。過去の回想と今の対比が、効いていますね。

 9.11発生当時、私は大学生でした。その私からすると、満島さんの表現にこそハッとさせられます。「すでに決まっているマイナスをゼロにするような冷めて硬直した現実」。その硬直した現実の中にも手触りのある希望を見出している若い世代がいるならば救いです。世代間の社会に対する視点や認識の違いも浮き彫りにしたエッセイでした。
 

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