3月8日の「国際女性デー」にあわせ、Z世代の女性向けエッセイ投稿サイト「かがみよかがみ(https://mirror.asahi.com/)」と「AERA dot.」が、コラボ企画を実施。「ニュースとわたし」をテーマに、女性限定でエッセイを募集しました。多くのエッセイの投稿をいただき、ありがとうございました。
投稿作品の中から優秀作として5本のエッセイを選抜、「AERA dot.」で順次紹介していきます。記事の最後には、鎌田倫子編集長の講評も掲載しています。
ぜひご覧ください!
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「たった今、ニューヨークで飛行機が、世界貿易センタービルに追突しました」
テレビ画面の向こうからもくもくと上がる黒煙。一瞬にしてビルが見えなくなるほど煙はとぐろを巻き、地面にいる大勢の人達が、悲鳴とともに走って逃げていく様子も見えた。
2001年9月11日。
いつもと変わらぬ何気ない平日の昼間を送るのだろうと、多くの人は思っていただろう。
時は、一瞬にして変わった。
ニューヨークの中心街は止まることない黒煙と、心を引き裂かれるような人々の悲鳴と涙で埋め尽くされるようになった。
「こんなことが起こるなんて……」。それは、日本にいる小学生の私にも映像越しに伝わってくる恐怖と荒野感だった。
数日後、「9.11」と呼ばれるようになり、刻一刻と死者負傷者数が増えてゆき、どうやらテロだったと、一つ一つこの世のものとは信じられないブラックホールが解かれ現実に明らかにされていくようになった。
「あってはならない」と、次々と当時の私が知っている国の首相や専門家たちがコメントを寄せている。日本にいる私や小学校のクラスメートはもちろん、世界中の色々な国のお偉いさんから一般市民まで一斉にニューヨークの惨状や被害に遭った方々に目を向け、祈るように心を寄せた。
その頃、小学校1年生だった私も、「世界でテロが起こったらしい」と理解してその映像が脳裏に刻み込まれ、「なんでこんなことが起こったんだ」「世界が平和になってほしい」と日本にいながら心から願うようになった。
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私は、日本で幼稚園から高校までカトリック系の女子校一貫校で過ごしている。それもあって、幼稚園の時からシスターに英語を教えてもらい、登校時と下校前に毎日必ず、教室で聖歌を歌ったり、イエス・キリストにお祈りする習慣があった。
そんな環境だったので、世界平和やノブレス・オブリージュ、隣人愛という言葉や、祈るという行為は、あたりまえで、身近なものだった。
小学校で宗教の授業の際、「日本に生まれただけで、皆さんは世界の3%くらいの幸せ者なんです」と先生にいわれたのを覚えている。その後、カンボジアやシエラレオネの貧困についてのビデオを皆で見た。こんな経験から、日本でなく世界に目を向ける、(相対的に裕福な)日本人として世界に貢献できることは何か?を考えて小さいながらも行動するノブレス・オブリージュの価値観が、わずかながらも自分の中に息づいていた。
そんな中、ちょうど「9.11」を映像で目の当たりにした。