「がん治療のプロフェッショナル」である腫瘍内科の医師も、がん患者になることがある。一般人と異なり、がんの専門知識を持ち、多くの患者の症例を知る彼らは、自身のがんをどう受け止めたのか。そして仕事の調整と治療、心境の変化について、経験を語る。本記事は、週刊朝日ムック『手術数でわかるいい病院2024』の特集「がん患者になったがん治療医と医療ジャーナリスト」より、前後編に分けてお届けする。
前編では、40代で腎臓がんと悪性リンパ腫を発症した、佐久医療センター(長野県佐久市)院長で腫瘍内科医長を務める宮田佳典医師(62歳)のケースを紹介する。本記事の筆者である医療ライターの長田昭二氏(58)も、転移があるステージ4の前立腺がん患者で、手術を受け、抗がん剤治療中だ(取材時)。自営業者の立場から、体験を語ってくれた。
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40代で2度もがんにかかれば、普通なら「あきらめ」に近い心境に至るもの。腫瘍内科医の宮田佳典医師もそうだった。
「2度目の時は、さすがにヤバいと思いました。遺書めいたものも書いたし、家族にも『厳しい状況だ』と話した。中学生だった一番下の息子は反抗期で私とけんかばかりしていたのですが、彼が涙を流しながら私の話を聞いていたのを覚えています」
この時45歳。病名は「NK/T細胞リンパ腫」という、非常に珍しい悪性腫瘍だった。じつは宮田医師、その5年前に最初のがんにかかっていた。話は40歳の時にさかのぼる。
2002年の年が明けてほどなく、人間ドックを受けると、右の腎臓に直径7センチの腫瘍が見つかったのだ。
「嫌色素性腎細胞がんという、比較的予後のいいタイプのがんでした。国立がんセンター(現・国立がん研究センター)中央病院で右の腎臓の全摘術を受けました。転移もなく1週間で退院し、2週間後には通常業務に復帰しました。このときはあまり不安にも思わなかったですね」
仕事が実を結んだ直後、2度目のがんが見つかった
勤務先の佐久総合病院では「外来化学療法部門」の開設に奔走。06年には「通院治療センター」のオープンにこぎつける。しかしその半年後に、2度目のがんが姿を現した。
「38度を超える熱が出るようになったんです。解熱剤を使うと治まるものの、すぐにまた熱が出る。頭痛や鼻づまりなどの症状も続いていました」