うさぎや(上野)工場長 橋本剛(はしもと・ごう)/1973年生まれ。93年にアルバイトを始め94年に職人として正式入社。2008年に工場責任者になる。うさぎやの和菓子全ての餡の味を守る、餡職人(撮影/写真映像部・松永卓也)
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 全国各地のそれぞれの職場にいる、優れた技能やノウハウを持つ人が登場する連載「職場の神様」。様々な分野で活躍する人たちの神業と仕事の極意を紹介する。AERA2024年3月4日号にはうさぎや(上野) 工場長 橋本剛さんが登場した。

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 大正2(1913)年創業の「うさぎや」(東京・上野)の和菓子は、手作りにこだわる。看板商品のどら焼きを求めて朝から行列ができる。

 伝統の味を守る、餡(あん)一筋30年の職人だ。

 1日に7千〜1万個分のどら焼き用のつぶ餡と、上生菓子の白餡、最中の餡を作る。

 朝6時から4台の釜をフル稼働させ、前日から水に浸しておいた小豆を煮始める。そこから3時間半、釜から目を離すことはない。火加減、水加減、甘味を調整しながら、木べらから伝わる感覚だけで、ほど良い練り具合へと仕上げていく。

 つぶ餡は、食べた時に小豆の皮が口に残らないように仕上げるには、高度な職人技が必要だ。

 祖母のために介護の学校に通っていた時、アルバイトを始めた。仕事が楽しかった。1年後、和菓子職人にならないかと社長に誘われ「10年は修業する覚悟」でこの道に入った。

 かき混ぜる餡が飛び散って腕をやけどすることは、日常茶飯事。最初の頃は蒸したての饅頭(まんじゅう)を素手で持つと水ぶくれができていたが、徐々に慣れた。少しずつ、職人の手に近づいていくことがうれしかった。

「すし職人が手袋をつけて、すしを握らないのと同じで、和菓子の味を決めるのは手」という。

 修業をはじめてから14年後に、餡の味を決める責任者になった。

 小豆は仕入れ先や季節によって変わる。最も重要なのが煮方だ。

 煮る時は、支度を万全にする。必要な道具を事前に用意していなければ、取りに行く間に煮詰まってしまう。作る目的を明確にしておかないと、正しい段取りで作れない。どのように煮たかで、正直に結果が出る。

 15年ほど前、人手不足解消のために、誰でも作れるようにレシピを作った。

 しかし、完璧だと思われたレシピは意味をなさず、味が変わってしまった。

 職人による手作業が、伝統の味を守るということに、改めて気付かされた。

 夢は、この伝統の味を守ってくれる、若い継承者を育てることだ。

「修業の道のりは長いが、面白いと思うまで一緒に頑張るから応募してほしい」

(ライター・米澤伸子)

AERA 2024年3月4日号