自分自身をテーマに
瑞樹くんが入学したころ、山本さんは「何か社会に対してできることはないか」と思い、保護猫の預かりボランティアを始めた。それが本格的に写真を撮り始めるきっかけになった。
里親を探すために猫の写真を撮影してSNSにアップすると、写真の面白さに目覚めた。
猫と瑞樹くんを一緒に写すと、海外から「いい写真だ」「彼は今日も元気なのか」と、コメントがついた。障害を深刻なことととらえず、「普通の子ども」として伝わっていることを感じた。
「私は子どもの将来とか、他人の目とかをすごく気にしながら生きてきたけれど、『えっ、それでいいんだ』と思った。そんな価値観の人たちと出会えたのも写真のおかげです」
17年、山本さんは本格的に写真を学ぶため、京都芸術大学の通信教育部に入学。付き添いをしながら課題を撮るため、特別支援学校から校内で撮る許可を得た。
山本さんは「医療的ケア児」をテーマに課題に取り組んだ。
ところが、それをリポートにまとめて大学に提出すると、「この写真は、障害がある子どもが育つ過程を撮ったものになっている」と指摘された。そして、山本さん自身のセルフポートレートを撮ることを勧められた。
「リポートを読むと、あなたは自分の置かれた状況にすごく不満を持っているから、そちらを主体に撮ったほうが面白くなるわよ、とアドバイスされた。それで、自分自身をテーマに撮ることにした」
教員も「この状況は変わらないと」
山本さんが目指したのは自身が置かれた状況を自虐ネタにして笑いを誘う写真だった。
「子どものころ、新聞の日曜版に載っていた風刺画を見るのがすごく好きだったんです。辛辣なことを描いているけれど、面白い。怖さもある。作品をつくるなら、そんなふうに写したかった。面白おかしく撮るけれど、相手の急所を突いていく写真です」
やがて作品は学校校関係者を巻き込んだものなっていく。しかし当初、山本さんは学校と対立していたという。それは山本さん個人の問題ではなく、保護者の付き添いがなければ医療的ケア児が通学できないケースは全国にあった。
「でも、学校の人たちと話をしていくと、この状況は変わらなきゃいけないよね、と個人的な思いを打ち明けてくれる人もいた。それに、ずっと付き添いをしていると、先生たちと普通の話をするんですよ。『あそこのパン屋はおいしいね』とか。そうやって人間関係を築いていった」