投手でありながら、“栄光の7人”に名を連ねているのが、堀内恒夫だ。

 65年のドラフト1位で巨人入りした堀内は、1年目の66年にいきなりセ・リーグ記録の開幕13連勝をマークしたが、プロ1号も開幕7連勝目の6月26日の広島戦で飛び出している。

 2対2で迎えた延長11回、先頭打者として打席に入った堀内は、池田英俊にカウント1-2と追い込まれながらも、内角低めカーブを左翼席に運び、自らのバットで勝利投手になった。強心臓ルーキーらしく、「2ストライクを取られてから、当てていこうと思っていたが、自分の好きなコースへ来たから思い切り振った」とコメントも大胆不敵だった。

 ノーヒットノーランを達成した67年10月10日の広島戦で3打席連続本塁打を記録するなど、打撃センスも野手顔負けだった堀内は、18年間で通算21本塁打を放っている。

 堀内と同期でドラフト2位入団の林千代作も、66年9月27日の大洋戦で0対2の8回にスタンカから代打ソロを放ち、球団史上4人目の快挙を達成したが、これが4年間の現役生活で唯一の本塁打となった。

 5人目は92年にドラフト1位で入団した“ゴジラ”松井秀喜だ。

 翌93年5月2日のヤクルト戦、1対4とリードされた巨人は9回裏2死一塁で、前日1軍デビューしたばかりの松井に打順が回ってきた。
 
 ヤクルト・野村克也監督は、3点リードの余裕から、高津臣吾、古田敦也のバッテリーに「どれだけ打てるか、内角直球で試してみろ」の指示を送った。

 そして、カウント2-1からの4球目、松井のバットが高津の内角直球を鋭くとらえる。直後、時速170キロの猛ライナーがプロ1号となって右翼席中段に突き刺さった。

 これには野村監督も「すごい当たりだなあ。まさにゴジラ打法だ」と脱帽するしかなかった。

 一方、松井は「甘い球だったんじゃないですか。打った瞬間入ると思いました。初ホームランはうれしいけど、負けちゃしょうがない。今度はぜひ勝ち試合で打ちたい」とキッパリ。その願いが叶ったのは、9回にダメ押し4号ソロを放った9月4日。相手はくしくもヤクルトだった。

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初安打がホームランになった大砲は?