巨人・浅野翔吾
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 昨年、巨人ドラフト1位で入団した浅野翔吾が8月18日の広島戦でプロ1号を記録。高卒1年目の選手の本塁打は、球団史上7人目の快挙と話題になったことも、記憶に新しい。浅野以前に高卒1年目で本塁打を記録した6人をプレイバックしてみよう。

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 第1号は、1956年に入団した浪華商(現大体大浪商)の4番・坂崎一彦だ。

 高校時代は春夏合わせて3度甲子園に出場し、3年春は決勝の桐生高戦で2敬遠を含む4四球と徹底的に勝負を避けられながら、唯一勝負してもらった6回に右越え2ランを放つなど、通算15打数9安打2本塁打でチームの優勝に貢献。“坂崎大明神”と呼ばれた。

 激しい争奪戦の末、巨人入りした坂崎は翌56年3月25日、開幕6戦目の中日戦に6番ライトでスタメン初出場をはたすと、8月14日の大洋戦で、7回に秋山登から1点差に迫るプロ1号右越え2ランを記録した。大卒ルーキーで同年25勝を挙げた秋山は坂崎を苦手とし、後年「坂崎はどんな投法をもってしても抑えられなかった」と述懐している。

 58年にレギュラーに定着した坂崎は、翌59年には打率.284、15本塁打、64打点を記録し、ベストナインに選ばれている。

 2人目は、早稲田実2年時の57年にセンバツ優勝投手になった王貞治だ。

 プロ入り後、打者に転向した王はオープン戦で5本塁打を放ち、59年4月11日の開幕戦、国鉄戦では、7番ファーストで先発出場した。

 だが、金田正一に2打数2三振と抑えられると、その後も快音が聞かれず、開幕から10試合で24打席無安打と苦闘の日々が続く。

 4月26日の国鉄戦も、村田元一の前に2打数無安打。そして、0対0の7回2死、坂崎(前出)が遊ゴロエラーで出塁し、3度目の打席が回ってきた。たちまち2ストライクと追い込まれた王だったが、川上哲治ヘッドコーチの「シュートを打つな」の指示に従い、次のシュートを見送ったあと、4球目の内角低めカーブをすくい上げると、右翼席ギリギリに飛び込む決勝1号2ランとなった。

「運がいいのではない。その一打で試合を制したという貴重な安打を生む力を持っている選手なんだ」と川上コーチが評したとおり、これが通算868本塁打の“世界の王”への第1歩となった。

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高卒1年目にHR放った投手は?