上杉謙信と武田信玄のタイムライン「川中島の戦い」の一部(『戦国時代のタイムライン』より)
上杉謙信と武田信玄のタイムライン「川中島の戦い」の一部(『戦国時代のタイムライン』より)

謙信:キツツキが木を叩いて、驚いた中の虫が飛び出したところをねらう、といった行動が元ネタですよね。一方で我々上杉勢は軍勢が車輪のように回転しながら攻撃を仕掛ける「車懸りの陣」を敷いておりました。超カッコよくないですか?

信玄:うむ…。名前はさておき、双方一歩も引かない戦いだったわけだな。ただ川中島の戦いは、実は明確な勝敗がついていないと言われておる。武田勢は私の弟・信繁や山本勘助が討たれており、痛手を負った合戦だったことには違いないのだが…。

 その後、北条氏との和議などを経て上洛を進めておったワシじゃが、その途上でなんと没しちゃうのだな。マジびっくり。武田家を案じて、「死を3年秘匿せよ」と遺言は残したものの、実際にはすぐにバレてしまうしな。人の口に戸は立てられぬというやつじゃな…。

謙信:一方の私は、信玄さんの没後は能登に進出していきます。加賀で起きた手取川の戦いでは織田軍勢も撃破、勢力を順調に広げていきます。ところが、そんな最中に脳卒中で倒れて、私もこの世を去っちゃうのですよね。なんともまああっけなく、ぽっくりと…。

上杉謙信と武田信玄のタイムライン「川中島の戦い」の一部(『戦国時代のタイムライン』より)
上杉謙信と武田信玄のタイムライン「川中島の戦い」の一部(『戦国時代のタイムライン』より)

信玄:うむ…。お互いあっけなかったな…。謙信は信心深くて、生涯結婚もしなかったと言われておるのだが、丁寧な暮らしでもしているのかと思いきや、実はめちゃくちゃ大酒飲みだったのだな。しかもツマミに梅干し(好物)なんかを頻繁に食べていたと言われておるから、そりゃ血圧上がること火の如くだな。

謙信:返す言葉もございません…。今川氏の経済封鎖で困っていた信玄さんに塩を送ったり、かっこいいキャラを通していたのですが、人間死ぬときはあっけないものですね…。みなさんも塩分は控えめに。塩を摂りすぎるくらいならライバルに贈りましょう!