倖田來未(撮影/加藤夏子)
倖田來未(撮影/加藤夏子)

 デビュー曲が日本では売れなかったこともあり、倖田の知名度はなかなか上がっていかなかった。それからしばらく、何年もヒットに恵まれない下積み時代が続いた。

「私は歌が好きだから、最初は『とにかく歌えているからいいや』みたいな感覚でした。でもそれを3年間くらい続けて、さすがにこれではいけないと思うようになりました。出る杭は打たれると言うけれど、私は杭が見えてもいない。“出る杭”にならないといけないと思いました」

 そんな状況のなか、妹のmisonoの方が先に売れた。misonoは02年8月、3人組のバンド「day after tomorrow」としてデビューするや、ヒット曲を連発。同年の年末には日本レコード大賞新人賞に輝いた。

「お姉ちゃんとしてこれでは恥ずかしいと、とにかく妹に追いつかないと、という気持ちでした。妹は自分をプロデュースするのにたけています。この曲にはどんなファッションが合うか、どういうパフォーマンスをすれば盛り上がるのか、そうしたビジョンがすごくしっかりしていたんです。私もそれを考えて、研究するようになりました。たとえば、当時はDREAMS COME TRUEさん、m-floさん、安室奈美恵さんなどが人気で、私のことは誰も知らない。世の中に同じようなものは2つはいらないと思ったので、この人たちにないのものは何だろうと考えました。そこで、当時は誰もやっていなかった、プロポーションを生かしたファッションを前面に押し出す女性歌手、という売り出し方にたどり着いたんです」

 当時、海外ではマドンナ、クリスティーナ・アギレラ、ビヨンセ、ジャネット・ジャクソンなど、大胆なファッションでパフォーマンスするアーティストが高い評価を得ていたが、日本には見当たらなかった。倖田の頭の中には、漫画「うる星やつら」のヒロインで、語尾に「だっちゃ」をつけて話すラムや漫画「ルパン 3世」のヒロイン峰不二子のイメージが浮かんだという。

「ただ、男性にこびるようなセクシーをやるつもりはなかった。女性が見てもカッコいいと思うものをやりたかった。だけど、実際はちょっと違う角度から取り上げられることも多かったんです。ヘンな角度から撮られた写真が出回って、お父さんは『なんちゅう格好で歌ってんねん』と周りから言われ、悲しい思いをしたこともあったみたいです」

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