これまでにも怒り口調の鬼、本能に忠実で直情型の鬼は登場してきたが、堕姫ほどのいら立ちは珍しいといえよう。堕姫はたびたび「癪(しゃく)に障る」という言葉を繰り返す。彼女の耐えきれないほどの怒りや不快感はいったい何に起因するのだろうか。
強い鬼が「遊女」に化ける理由
遊郭は人の出入りが多く、喧騒の陰でひっそりと殺される者、重篤な病にかかる者、逃亡を試みる者など、行方不明者や死者が少なくない。鬼が人を喰っても見つかりづらいというメリットがある。しかし、なぜわざわざ「鬼」が遊女に化けようとしたのか。
人間を食い荒らすのが目的であれば、鬼が遊郭に「潜入」する必要はないはずだ。人間の姿で、それも花魁という目立つ姿で堂々とひとつの場所に留まり続けることにはリスクがともなう。しかも、堕姫は遊女であることを自らが望んでいたわけではないように見える。
<最近ちょいと癪に障ることが多くって><酷いこと言うわね 女将さん 私の味方をしてくれないの 私の癪に障るような子たちが悪いとは思わないの?>(堕姫/9巻・第74話「堕姫」)
単なるワガママや、鬼としてのむき出しの本能だけで、いら立っているわけではなさそうだ。
遊女としての堕姫の働きとその実態
そもそもの前提だが、堕姫は遊女として「働いて」いるのだろうか。鬼と一般の人間の戦闘力の差を考えれば、遊郭で人間を殺害・捕食することだけが目的だとしたら、「遊女としての働き」までは不要だったのではないのか。しかし、吉原の店の女将に対する、堕姫の言葉から考えると、やはり彼女は遊女として仕事をしていることが分かる。
<誰の稼ぎでこの店がこれだけ大きくなったと思ってんだ婆(ババア)>(堕姫/9巻・第74話「堕姫」)
つまり、彼女は強い鬼であるにもかかわらず、人間として働き、「仕事」までして、成果も残してきた。他の鬼には「人間としての労働」シーンはほぼ描かれておらず、堕姫以外で人間社会に溶け込んでいるのは、新興宗教の教祖として活動している、上弦の弍の鬼・童磨(どうま)くらいであろう。