瀬尾さんの長男(第一子)を抱く寂聴さん(瀬尾さん提供)

亡くなった命と生まれてきた命

 そんな姿を見て、周囲の人は瀬尾さんを気遣ってくれた。このときにかけられた言葉で肩の荷がおりたという。

「一周忌の前くらいだったと思うのですが、瀬戸内の兄弟子で、妙法院の門跡の杉谷(義純)先生に、『寂聴さんがいたら、ああだろう、こうだろうと思うかもしれない。けど、実際のところは、亡くなってしまってわからないのだから、その人なりの偲び方をすることが大切』とおっしゃっていただいて。それで私の中で固くなっていたところがほどけたというか。ものすごく救われました。それから、横尾(忠則)先生からもメールをいただいて。そのなかで、『今は辛いかもしれないけど、今後、まなほさんが話す機会があったら、寂聴さんのことをいっぱい話すことが供養になるんだよ』と書いてくださって、すごく気が楽になりましたね」

 また、寂聴さんが亡くなって数カ月後に生まれた第2子の存在も「希望の光だった」と瀬尾さんは言う。

「亡くなった命と新たに生まれてきた命を、同時に見ることができたのは良かったと思っています。亡くなったことは悲しいけれど、新たな命の成長の喜びが感じられて。もし、子どもを妊娠してなくて、亡くなった後もずっと寂庵に出勤していたら……って考えると、かなりきつかったと思うんです。子育てを理由に瀬戸内のいない寂庵に行かなくても済んだことは私のなかでは良かったと思います」

 子どもがいることで、「日常」を生きるしかなかったことも、結果的には瀬尾さんにとっていいほうに転んだという。

「先生が亡くなった日も、保育園に長男を迎えに行って、スーパーで買い物をしているんです。『なにやってるんだろう』って思いましたけど、彼らがいることで、悲しみに吞み込まれず日々を送れることができたのかなと思います」

(AERA dot.編集部・唐澤俊介)

※【中編】<寂聴さんの秘書・瀬尾まなほさんが語る「細川護熙氏」との秘話 「先生は好きな人が来ると態度が変わるんです」>に続く

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