2010年秋発表の『クラプトン』には、多彩な顔ぶれのゲストが参加しているのだが、そのなかにウィントン・マルサリスの名前もあった。ニューオーリンズ・ジャズからクラシックまでさまざまな場で経験を積み、ジュリアードをへて、80年、本格的な活動を開始。音楽を大切な文化遺産としてとらえながら創作活動をつづけるその姿勢が評価され、すでに9つのグラミー賞を獲得している音楽家だ。『クラプトン』では、《ハウ・ディーブ・イズ・ジ・オーシャン》と《マイ・ヴェリー・グッド・フレンド・ザ・ミルクマン》で個性的なソロを聞かせている。
このとき(別々の録音だっかもしれないが)、クラプトンは頭のなかで、ルイス・アームストロングと並んでエレクトリック・ギターを弾く姿を思い描いていたかもしれない。実際、『クラプトン』を完成させたあと彼は、60代後半に取り組みたいプロジェクトの一つとして、ニューオーリンズ的な音を考えたそうなのだ。そしてその想いは、早くも翌年、リンカーン・センターでのウィントン・マルサリスとのコンサートという形で、現実のものとなってしまう。
2011年4月7日、8日、9日、二人は、アームストロングにも影響を与えたコルネット奏者ジョー・キング・オリヴァーのクレオール・ジャズ・バンドを意識して組織したものだというミュージシャンたちをバックに(クラプトン側からクリス・ステイントン、ゲストとしてタジ・マハールも参加)コンサートを行ない、そこで残された音を同年秋、つまり、スティーヴ・ウィウッドとの来日公演の直前、『プレイ・ザ・ブルース』のタイトルで発表しているのだ。映像版も制作されていて、こちらは、8日のライヴを中心にまとめられている。
このプロジェクトは、もともと、ブルースに関するクラプトンの知識や見識の深さをかねてから認めていたマルサリスが、いわば「教えを請う」ということで、スタートしたものだという。当然のことながら、選曲はすべてクラプトンに委ねられた。アームストロングの代表曲だった《アイス・クリーム》や《ザ・ラスト・タイム》、ハウリン・ウルフの《フォーティ・フォー》、ビッグ・メイシオの《キッドマン・ブルース》、ナット・キング・コールのヴァージョンで知られる《ジョー・ターナー・ブルース》、ベッシー・スミスが歌った《ケアレス・ラヴ》、メンフィス・ミニーの《ジョリエット・バウンド》など、それらはすべて「メンタル・ジュークボックス」からのピックアップということなのだろう。クラプトンは、基本的にはバンドの一員という立場に徹しながら、随所で、ひさびさに手にしたギブソンES―335やフル・アコースティック・ギターで渋いプレイを聞かせている。
7曲目に収められた《レイラ》は、例外で、メンバーたちからのリクエストを受けて取り上げたものらしい。当初、本人は消極的だったそうだが、ニューオーリンズ風葬送歌=dirgeのアレンジを施したことによって、「いとしの~」ではなく、「手の届かない女」への気持ちを、より明確に表現することができたと思う。[次回9/2(水)更新予定]