林:そのとき11歳というと、小学校6年生ですよね。

河北:はい。「ニューヨークに帰って、レッスンをしてください」と言われて、そのあといろんなレッスンを受ける中で、芸能活動をやってみようかなという気持ちにだんだんなってきたんです。それで16歳のときに日本に来ました。

林:「美少女コンテスト」って、スターをいっぱい生んでいますよね。米倉涼子さんもそうだし、上戸彩さんもそうだし。そのグランプリを取って、お父さまもお母さまもびっくりですか。

河北:それはもう、全員がびっくりです。めちゃくちゃシャイで人見知りだったので、まさか私がグランプリなんて誰も思ってなかったと思います。

林:お友達もびっくりですか。

河北:いや、私の周りにも学校にも日本人はぜんぜんいなくて、日本人は自分一人だったので、ニューヨークの子たちはほとんど知らないと思います。

林:ニューヨークの友達には「マユ」と呼ばれてたんですか。

河北:「マユコ」(ユにアクセント)って呼ばれてました。

林:ニューヨークで、日本の雑誌やテレビは……。

河北:ぜんぜん入ってきていませんでした。ただ、ケーブルテレビでフジテレビだけは見られたんですよ。それで好きな番組を定期的に見てました。

林:当時のフジテレビってどんなのですか。

河北:「HEY!HEY!HEY!」とか「スマスマ」(「SMAP×SMAP」)とか。

林:ああ、その時代ですか。日本への憧れはあったんですか。

河北:すごくありました。

林:ニューヨークの女の子って、大学はどこに行くんですか。

河北:ニューヨークから出る人が多いかもしれないですね。私はニューヨークで生まれて育って、ニューヨークで死ぬと思ってたんですけど、この仕事をすることになって、日本に来たのが高校1年生のときだったんです。そして堀越高校に入ったんですけど、「堀越史上一のバカ」と言われて(笑)。

林:えっ、うそうそ! それは日本語がちゃんとできなかったっていうことでしょう?

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