じつに困ったことですが、これは相手の言っていることを理解する努力のエネルギーが失われていることが原因です。集中して聞いていれば理解できるし覚えていられるのですが、集中を続けていると疲れるので、集中しているふりをして適当に聞き流しているのです。関心のあることは集中していなくても記憶として残りますが、関心のないことはまったく残りません。まるで頭の中に、余計な記憶をブロックするための自動フィルターができているかのように見事に選別されるから不思議です。

 どんなことに価値を認めるかは人によって異なりますが、いつも一緒にいる家族とは価値の共有ができているので、自動フィルターも似たようなものになってもよさそうです。ただ実際は、生活パターンや日常的に行っていることが大きく異なるので、その部分で差ができるようです。私はあまり気にしたことがありませんが、あらためて振り返ると、家族もまた私が話したことを右から左に素通りさせていることが何度もあったことを思い出しました。

 とくに親しい関係でも、そういう手抜きは許容されることはなく、相手が「大事なこと」と考えていることまで手抜きで聞いていると、問題は大きくなります。CMのキャッチコピーだった「亭主元気で留守がいい」という言葉のように、現役でばりばり働いていた頃に仕事の忙しさにかまけてできていた言い訳は、さすがにいまは通用しません。いくら親しい間柄でも、老いてからはより気遣いが必要になっていると実感しています。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年の『このミス』大賞作品は?あの映像化人気シリーズも受賞作品って知ってた?