
宮藤:でも小劇場出身の僕からすると、小劇場と歌舞伎は近いようで遠いんです。歌舞伎に挑戦する時は構えてしまって、だからこそ気合が入る。僕は野田秀樹さんの「研辰の討たれ」を見た時に「こんなことをやるんだ! やっていいんだ!」と驚きました。それで毎回「こんなことは歌舞伎でやってないだろう?」ということをやろうとする。「りびんぐでっど」ではゾンビを出しましたが、「誰もやってないことを!」という気持ちが強すぎた(笑)。「唐茄子屋」ではもう少しソフトになりました。

七之助:江戸の歌舞伎は、「これは誰もやってないだろう」という遊び心から生まれたことを真剣にやるうちに、伝統になったんですよ。その成り立ちがあるからこそ、「唐茄子屋」でカエルが出てきても説得力がある。虫も魚もくさやも出てきたことがありますし、歌舞伎は演劇の中で一番役の幅が広いのではないでしょうか。それでも納得させてしまう歌舞伎の魔力はすごいし、宮藤さんの作風とすごくマッチしている。宮藤さんの作品には強い歌舞伎味を感じます。
ただ、江戸では何でもありだったのが、時代を経て良い発展と悪い発展があったと思っています。歌舞伎が高尚なものとしてとらわれてしまったことで「こうでなくてはならない」という固定観念に縛られていた時代が長くありました。歌舞伎俳優がテレビに出ることを良く思わない人もいました。「野田版 研辰の討たれ」に「ジェラシー」というセリフがあって、父ですら「歌舞伎座で横文字を使っていいのだろうか」と思ったそうです。
いま、「唐茄子屋」の荒川良々さんをはじめ、素晴らしい俳優さんが歌舞伎に出てくださるようになったこともあり、歌舞伎自体が面白い方向に進んでいると思います。江戸の時代に戻ってきているというか。23年秋に開演した「錦秋十月大歌舞伎」では近年女性が立つことが少なくなった歌舞伎座の舞台に寺島しのぶさんが上がりました。想像力が豊かな人たちによって、ボーダーを越えてきたと思っています。
(構成/ライター・小松香里)
※AERA 2024年1月15日号より抜粋