銀座線と並ぶ東京の地下鉄の顔である丸ノ内線の第一期区間池袋~御茶ノ水間が1月20日、開業から70年の節目を迎える。戦前、丸ノ内線の「源流」に当たる計画では、新宿~大塚を結ぶ路線だった。戦後初の地下鉄である丸の内線は、いかにして今の形になったのか。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
営団地下鉄における初の地下鉄新線となった丸ノ内線
丸ノ内線は戦後初、そして帝都高速度交通営団(営団地下鉄)初の地下鉄新線として1951年に着工した。日本最古の地下鉄である銀座線は1925年から1939年にかけて建設されたが、戦争を挟んで地下鉄建設は10年以上中断し、最新技術の導入も途絶していたため、戦後の地下鉄建設はゼロからのスタートだった。その間、建設部門は縮小され、技術者も離散し、現場職員のほとんどが未経験者だったという。
工法は基本的に銀座線の技術を踏襲したが、工場で製造した「生コンクリート」を国内の土木工事で初めて本格採用(それまでは現場で練っていた!)した他、銀座~霞ケ関間、国会議事堂前~赤坂見附間では地上に作ったトンネルを地中に沈めていく「潜函工法」、国会議事堂前駅付近では半円形のトンネルで地中深くを横にくり抜く「ルーフシールド工法」など、新たな技術も積極的に導入された。
丸ノ内線は近年の地下鉄とは異なりトンネルが浅い場所にあるため、御茶ノ水付近で地上に顔を出して神田川を渡ったり、四ツ谷駅で中央線を橋梁でまたいだりと、区間ごとに表情豊かなのも特徴だ。文化庁は昨年11月24日、御茶ノ水駅2番出口上屋、御茶ノ水橋梁、四ツ谷跨線橋(こせんきょう)を登録有形文化財に登録。日常を支える現役の施設ながら、歴史を伝える文化財としても認められることになった。