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「競技に出て最初のころは、負けて波のせいにしたこともありました。でも、母に怒られました。『波のせいにしていたら、いつまでもうまくならないわよ』って。それからは、波ではなく自分が悪い、と思って原因を探るようになりました」
考え方を変えたことが、成長のきっかけになった。
「波のパターンを見れば、ミスの原因はいくらでも考えられます。『波がこう変化したなら、こういう技に切り替えるのもありだったよね』とか。あらゆる対応を作り出していけば、波のせいでできないことはなくなるんです。いつまでも学びがあるスポーツですね。でも他のスポーツでも、進化していける人は、他のことのせいにしない考え方をしていると思います」
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メダルのプレッシャー
15歳で国内プロ、そして20歳で世界最高峰のチャンピオンシップツアーに日本女子初の参戦。そこで世界トップのサーファーたちと出会った。
「何より驚いたのは、トップの人たちは人間性が素晴らしいということ。世界女王のカリッサ・ムーア(ハワイ出身)は、私を妹みたいにかわいがってくれて、試合のたびに『何かあったらすぐに言ってね』と声をかけてくれました。初めて経験する大きな波の会場では、練習の時に一緒に海に入って『こういう波はこうやって乗ると良いよ』と教えてくれる選手もいました」
そして21年夏、東京五輪を迎える。準決勝では、尊敬するムーアと対戦した。
「カリッサと試合することが小さな頃からの夢だったので、それが五輪の舞台で叶(かな)ったんです。負けた試合だけど、一番の経験になったヒート(試合)でした」
3位決定戦に回ると、ここ一番の集中力をみせた。
「ここまで来たらメダルを絶対に取る、という気持ちでした。五輪初のサーフィンが日本で開催されて、たくさん応援してもらっていることに恩返しもしたい。どうやったら自分の演技を出せるかを冷静に考え、どの波に乗るかをイメージし、波に乗ったら決めていた演技を出す。積み重ねてきた技術と精神がうまく合った試合でした」
(構成/ライター・野口美恵)
※AERA 2024年1月15日号より抜粋
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