原武史(はら・たけし)/1962年、東京都生まれ。放送大教授、明治学院大名誉教授。専攻は日本政治思想史。著書に『歴史のダイヤグラム』他多数(写真:本人提供)

 政治学者・原武史さんの書棚を見せていただいた。天皇や皇室に関する書籍がずらりと並ぶ。原さんの思い出深い一冊とは──。AERA 2024年1月1-8日合併号より。

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 原さんは、机から最も近い場所にある本棚に、天皇や皇室に関する書籍を並べている。日経新聞記者時代、昭和天皇の手術に伴い宮内庁詰めになる経験もしている。『昭和天皇拝謁記』は全7巻。初代宮内庁長官・田島道治が昭和天皇とのやり取りを、原さん曰く「まるでテープレコーダーに記録したかと思えるほど」精密に載録。「昭和天皇は再軍備論者で、朝鮮戦争が勃発したときには『九州に若干の兵をおくとか、呉に海軍根拠地を設けるとか、兎に角治安の問題に注意して貰はねば困る』と述べている。まるで再び大元帥にでもなりたがっているかのような言い回しもある」。憲法のもとで天皇は象徴となり政治的発言を禁じられた。「だが、これを読むとそうじゃない。戦前と変わらず政治への意思を持つ実態が浮かび上がる。第一級の資料です」

『三笠宮崇仁親王』の三笠宮は大正天皇の第四皇子で昭和天皇の末弟。原さんはこれまで不明な部分も多かった三笠宮についての研究が今後、本格化していくと予想する。「三笠宮は1943年、陸軍の参謀として南京に行き、戻ってから中国戦線の最新情報を昭和天皇や母親・貞明皇后にあげていたはず」。第三皇子の高松宮(海軍)はサイパン陥落時点で敗戦を覚悟すべきとしたが、昭和天皇は戦争の継続にこだわり、貞明皇后も「勝ちいくさ」を信じ続ける。天皇家の面々がどんな思いで終戦を迎えたのか、探る手がかりとなる。

 三笠宮と言えば、吉田裕氏との共編『岩波 天皇・皇室辞典』が原さんにとって思い出深い一冊だ。「保阪正康さんが書いた『三笠宮崇仁』について、本人から『誤りがある』と連絡が来たんです」。原さんと保阪氏、編集者が赤坂御用地の三笠宮邸へ。「当時89歳。でも、ひじょうに若々しかった」。訂正版を出すことで決着したが、皇室内の人間関係に関する質問にも率直に答えてくれたという。「驚きましたが、この人なら信用できる、裏表のない人だと感じました」

『近代天皇制と東京』は建築史家による研究書。東京で行われた祝賀儀礼や軍事儀礼、葬儀などを対象とし、空間から近代天皇制を眺めていく。「理系の学者らしく、地図や図面を使って分析する。文系のテキスト中心主義ではない視点を持っている。共同研究の余地があります」

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