作家・室井佑月さんは、上野千鶴子さんの「文春砲」反論記事を読んだ感想を明かす。
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先週号のこのコラムに、週刊文春のスクープ、「“おひとりさまの教祖”上野千鶴子(74)が入籍していた」というものを取り上げた。その後、上野さんが反論記事を書くといったので、楽しみにしていた。
それは婦人公論4月号。「緊急寄稿 『文春砲』なるものへの反論 15時間の花嫁」。
読んだ感想としては、がっかりの一言だ。フェミニスト村のボスの緊急寄稿というわりに、中途半端なページというのもさもありなん。非常につまらないものだった。
なんでも上野さんはパートナーの介護と看取りのため、「婚姻届を提出した(入籍)といわれたくない」らしい。パートナーの彼曰(いわ)く、上野さんは「親友」なのだそうだ。
本人がそうだというなら、そうなのだろう。しかし、私が期待したものとはまったく違った。
私が期待したものは、
「誰にどういわれようがかまわなかった。私は彼のすべてが欲しかった」
というようなものだったかもしれない。
上野さんほど成功し、お金もあり、誰かのツテも使えそうな人は、少々の面倒を嫌がらなければ、ずっと自分が否定してきた婚姻をしなくてもどうにかなったはずである。
上野さんのパートナーにはその昔、奥様がいた。本当に婚姻したのは、婦人公論に書かれてあった、優等生的なつまらない理由だけだったのか。
愛した男のすべてが欲しいという願望は、上野さんにはなかったのだろうか。
恋人であり、親友であり、現世では母になるのは無理であっても、妻というものが残っていた。私ならなりたいと思っただろう。
そして、上野さんのコラムの最初と最後には、他人のプライバシーを嗅(か)ぎまわるのは卑しい、というようなことが書かれてあったのが印象的だった。最初と最後にわざわざ書くほど、強くいいたかったことに違いない。