13歳だった自分に恥じない生き方
「無料塾の主催者だから、『塾至上主義』なのでは?」と、たまに誤解されますが、個人的には塾が必須だとか万能だとか思ったことはありません。生徒として塾に行ったことが一度もない人間ですから。逆に、一般的な学習塾のイメージがなかったおかげで、八王子つばめ塾を作れたのかもしれません。
中学校からは陸上部に入りました。数か月後、初めての試合に出ることになって、スパイクの値段を知ったときはとても驚きました。確か5400円だったと思います。これまでの人生で安い靴しか買ったことがなかったので、靴に5400円も出すのか、こんな金額を親に払ってもらうのは申し訳ないな、と思いました。でも両親はなんとか出してくれました。
陸上部でもう1つ、お金にまつわるエピソードがあります。中学2年生だった1991年に、世界陸上競技選手権大会が東京・代々木の国立競技場で開催されました。陸上部の顧問にチケットをもらって部活の友人と観戦しに行ったときのことです。
世界のトップ選手の活躍を目にした後、競技場の周りのショップでお土産を買おう、という話になりました。友人は記念Tシャツなどを買っていましたが、余分なお金なんて私にはありません。ギリギリで買える安いものはないかと探し、手に取ったのがボールペン。200円のペン1本買うのが精いっぱいです。
帰りの交通費は残せたとホッとしたのもつかの間、帰り道におなかをすかせた友人たちが、代々木駅の近くで見つけた牛丼屋に立ち寄ることにしたのです。あとは帰るだけだ、もうお金を使わないだろうと思っていた私は慌てました。さすがに1人だけ食べないわけにも行かず、一番安い「牛皿」しか食べられませんでした。
小学校・中学校時代だけでも、貧乏にまつわるエピソードは尽きません。でも私は、家にほとんどお金がなかった13歳の頃の、自分の感性を忘れたくないと思っています。そして13歳の自分に胸を張っていられるような生き方を目指しています。もしも、八王子つばめ塾を立ち上げていなかったら、13歳の自分にこう、ツッコまれていたと思うのです。
「何だ、結局自分が幸せになればそれでいいのかよ。結婚して、子どもができて、正社員で、ボーナスまでもらえて。そうなると、都営団地に住むような俺たちことなんか関係なくなるんだな!」
13歳の自分なら、間違いなくそう言っていると思うのです。その頃の自分に、今の私が答えます。
「いや、今こうやって、無料塾を開いているよ。正直、まだまだ力は足りないけど、毎日全力を尽くしているよ!」