
パレスチナのイスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃した10月7日以降、報復の連鎖が続いている。「戦争状態」になる前、約5年にわたる取材で集めた両地域の住民の声を紹介する。AERA 2023年12月4日号より。
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イスラエルとハマスの衝突が激化している。報道される死者・負傷者数は日々増えていき、着々と配備される兵器やがれきになった街、傷付いた人々の映像が毎日大量に流されている。日本に住む私たちからは、距離的には確かに少し遠い国の出来事ではある。だが、そこには私たちと同じ人間が暮らしていることを決して忘れてはならない。日々目にする彼の地に関するセンセーショナルなニュースの中に、家族を愛し、友人を愛し、平和を愛する彼らのような、私たちと同じ普通の人々が今も生きている。
2018年から23年6月まで、そのうち20年までAERAのフォトグラファーだった期間を含め、個人的なライフワークとして複数回にわたってイスラエルとパレスチナを訪れ取材していた。
両地域の間には「分離壁」と呼ばれる高さ8メートルの巨大なコンクリート製の壁がそびえ立っていて、日本の四国地方ほどの広さしかない国土の中を縫うように全長700キロメートル超にわたって両地域を分け隔てている。
異なる正義の形
それは実際、ベルリンの壁よりもはるかに高く、長い。イスラエルにとってはテロリストの流入を防ぐ目的で建設された安全を象徴する壁であり、一方でパレスチナにとっては、抑圧された彼らの状況を象徴する憎むべき壁でもある。
その壁を挟んで人々の往来は制限され、交流は断たれ、文字通りお互いの顔が見えずに分断されている状態だ。
ただし、外国人は例外的に、拍子抜けするほど簡単に壁の検問を通ることができた。少なくとも10月7日より前までは、日本人である私自身、何度も両地域を行き来しては、それぞれの地に住む市井の人々の取材を重ねてきた。
私が取材中に出会った現地の人々にお願いしていたことは、写真を撮らせてほしいということと、もうひとつ、壁の向こうに向けて手紙を書いてほしい、ということの2点だ。
分厚い壁で分断されている彼らにとっては、互いに会話をする機会もなければ、相手がどんな顔をしていて何を考えているかさえも知る術がない。
私は壁を行き来できる外国人の立場を利用して、伝書バトのように、それぞれの市井の人々のポートレートと彼らの書いた直筆の手紙を集めた。
イスラエルの公用語はヘブライ語であり、パレスチナはアラビア語であるため、言語の異なるそれぞれの手紙はしょせん「伝わらない手紙」だ。
70年超の長きにわたり彼らを取り巻く分断の状況そのものを表すと同時に、国際問題の渦中で暮らす市井の人々の生活とナショナリズムの両方を内包したそれらの手紙からは、それぞれの持つ異なる正義の形と、ある種の共通する平和への渇望を見ることができる。
約5年間のうちに集まったたくさんの写真と手紙の中から、一部を抜粋して掲載する。
この取材に協力してくれた彼らとその家族、友人がどうか今も無事でいてくれることを心から願っている。