ヴィム・ヴェンダースの『PERFEC TDAYS』に、公衆トイレの清掃が生業となった主人公(役所広司)が古本屋でパトリシア・ハイスミスの著作を買う場面があった。そのシーンにこの男はただ者ではないと直感した。前歴は作家か映画監督なのか。
ハイスミスはアガサ・クリスティーと並ぶ人気を持ち、トルーマン・カポーティに認められ、日本では吉田健一が愛読した。著作の多くが映画化された(ヴェンダースも『アメリカの友人』を1977年に)が、何といっても僕は中学時代に名画座で観た『太陽がいっぱい』が印象に残っている。切なく哀しい青春の挫折を描いた作品だったが、一方で、なんて鮮烈で美しい時間なのだろうと感激した覚えがある。
原作者としてパトリシア・ハイスミスの名前はパンフレットで知ったが、それ以上の知識を得ることはなく、今回のドキュメンタリー『パトリシア・ハイスミスに恋して』(全国順次公開中)で初めてその生涯を知った。彼女は1921年にテキサスで生まれ、自分が生まれる9日前に父と離婚した母に呼ばれてニューヨークで育ち、長じて作家となる。
文学界で成功を収めながらも彼女はあくまでアウトサイダーだった。思春期の感覚を持ち続けながら大人になった。母親との確執に加え、隠れたレズビアンでもあった。彼女は藻掻く。母の勧めで男と付き合おうとしても、セックスは「金属たわしで顔を擦るようなもの」で苦痛だった。しかし、その頃の保守的な常識が「たわし」となって彼女の感覚を磨き上げ、不屈の精神を育んだ。
「物書きで心に傷がない人はいない」「どんな災難も心の栄養になる」「(タイプライターで)釘を打ち込むように文字を綴る、いい気分!」「自分という肥沃な大地を耕さねば。でないと搾乳されない乳牛みたいに腐って、可能性は眠ったまま死んでしまう」
映画に登場する彼女の言葉が僕を魅了した。理想主義、身勝手、成熟を拒む少女の感性。ハイスミスは奔放に恋もした。フランス煙草ジタンを吸い、毎朝起きるなりジンを飲みながら小説を書いた。彼女には臆病者の「度胸」があったのだ。