哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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なぜ日本では子どもの人権がこれほど軽んじられるのか。それが先日の寺子屋ゼミのテーマだった。「子どもの権利条約」は1989年に国連総会で採択されたが、日本が批准したのは94年、158番目だった。それ以後も国連の子どもの権利委員会から繰り返し子どもの権利に対する法制度の不備を指摘され続けてきたが反応は鈍く、2023年に施行された「こども基本法」は国際条約よりはるかに後退した抽象的な文言に終始しており、「こども庁」も「こども家庭庁」に名称変更された。
なぜ日本社会は子どもを「権利の主体」とみなすことをこれほど嫌がるのか。政治家や官僚に人権意識が欠落しているからなのか、それともある種の政治的圧力に屈した結果なのか。私の仮説は少し違う。
若い方には信じ難いだろうが、敗戦後から1960年代末まで日本社会は子どもへの権限委譲にきわめて前向きだった。子どもたちは児童会や生徒会で学内のルールを決めることができた。もちろん限度はあったが、できるだけ子どもたちの自治に委ねるという社会的合意はたしかに存在した。これは「君たちのための民主主義の訓練」なのだと大人たちは言った。民主主義はまだ日本に定着していない。だから、君たちの世代がそれを身体化するのだ、と。民主主義の恩沢に豊かに浴した世代が大学生になって自治会を指導するようになった60年代末に全国学園紛争が起きて、日本中の多くの大学が一時期無政府状態に陥った。このトラウマ的経験を通じて、「子どもに権利を与えてはならない」という確信が右派の人々に刷り込まれた。岸信介や児玉誉士夫や文鮮明による国際勝共連合の設立も、のちに日本会議の事務総長になる人物が民族派自治会の結成を決意したのもこの時である。奇しくも統一教会と日本会議という二つの組織は、「気前よく権限委譲された子どもたちの叛乱」への嫌悪と恐怖から生まれたのである。以後半世紀「子どもに権利を与えてはならない」という恐怖症が自民党政治には伏流している。日本が「子どもの権利後進国」であるのはその帰結であるという話をしたら、ゼミ生たちは目を丸くして聴いていた。
※AERA 2023年11月27日号