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 虐待やDV、性暴力などの被害の苦しみは、その時だけで終わらない。被害の「その後」も続く。死んでもいい、との思いを長く抱き、それでも、必死に生き続ける当事者の声を聞いた。AERA 2023年11月6日号より。

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 富山大学に通う儚(はかない)さん(22、ハンドルネーム)は、漠然と死を願う「希死念慮」にずっととらわれている。

 3歳の時に両親が離婚した。母(50代)と一緒に暮らし始めたが、じきに母からの虐待が始まった。

 殴る、蹴る、ネグレクト(育児放棄)……。「産まなきゃよかった」。そんな言葉の暴力も受け続けた。母は機嫌次第で虐待し、儚さんが物心がついた時には受けていた。

 一番つらかったのは、小学2年生か3年生の時。自宅で母親から包丁を渡され、「お母さんのこと殺して」と言われた。母は統合失調症を患っていて、幻聴や幻覚があったりすると、虐待が始まることもあった。この時、儚さんは、泣くことしかできなかったという。この頃から、儚さんは希死念慮を持つようになった。風邪薬を大量に服用し、自殺未遂もした。

 虐待を受けた人は、トラウマや心の傷を抱え、これが自己肯定感の低下や絶望感を引き起こし、希死念慮につながるといわれる。

 ただ当時、儚さんは、母が殴ったりするのは虐待だとは思わず、母の愛情表現だと思っていた。母は私のためを思ってやってくれているのだ、と。

 虐待だと気づいたのは、中学生になってから。インターネットを使い始め、調べていくと、自分が受けていたのは虐待だとわかった。母から絶対に離れるという思いから、大学に進学し、家を出た。だが、母から離れても、虐待の後遺症に苦しめられる。

「産まなきゃよかったって言われて育ってきているから、どうやって生きていけばいいのかわからないんです」

 親の感情に支配され生きてきたから、自分の感情がわからない。相手の感情をくみ取ろうとするので、無駄に疲れる、ともいう。

 また、ふとした時、トラウマがフラッシュバックする。

 誰かに後ろに立たれると恐怖が襲い、急に怒り出す人がいたら涙が出て止まらなくなる。過去のある時期の記憶も飛んでいる。この夏、医師から複雑性PTSDと診断された。

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