NGリストが後に暴露された記者会見。が、ここで論じられたことは、23年前の週刊文春の14週のキャンペーンですでに指摘されていた。

 一億総ジャニーズ問題評論家時代ともいえるべき状況だが、現在議論されていることは、実は1999年10月から週刊文春で始まった全14回のキャンペーン報道で、ほとんど全てすでに指摘されている。

【この記事の写真をもっと見る】

 と、いうことに気がついたのは、この14回の週刊文春の記事と、東京高裁でジャニー喜多川の少年たちへの性加害について事実認定する判決がでた直後の2ページの記事(2003年7月31日号)を改めて読んでみたからだ。

 というのは、日本記者クラブ会報の今年の7月10日号に日本テレビの社会部長がこの週刊文春の一連の報道について、

〈文春の記事自体も今では「差別語」でしかない文言が踊るもので、残念ながら当時、日本テレビを含む多くのメディアで、ニュースとして扱う議論の俎上にも上らなかったと想像する〉

 とばっさり切り捨て、

〈メディア自身が「自分たちが報じていれば世の中を変えられた」とか「自分たちの手で時代の価値観を変えよう」とまで意気込むのは、傲慢で危険ではないか〉

 とテレビの報道局がこの問題について報道しないことについて、正当化するかのような原稿を書いていたからだ。

日テレ社会部長は、文春報道を差別語が踊るとくさすが

 この原稿を読んだ多くの人は、〈「差別語」でしかない文言が踊るもの〉と言われれば、週刊文春が当時、どんなひどい報道をしたかと思うだろう。

 当時、文藝春秋にいた私も、この記事の記憶はおぼろげだった。どんな差別語があったのだろう、と疑問に思って、文春の資料室で元の記事を確認したのだ。

 すると拍子抜けした。日テレの社会部長氏は、キャンペーン中登場する「ホモ・セクハラ」という言葉について言っているらしかった。

 しかし、このキャンペーンがあったのは99年から2000年だ。当時は、「認知症」を「痴呆症」と言っていたのと同じように、「ホモセクシュアル」について「ホモ」という言葉を使っていた。書き手に差別意識があったわけではない。

 実際、記事中にジャニーズOBのコメントを引用する形できちんとこう断っている。

〈間違って欲しくないのは、ジャニーさんが同性愛者だということが問題なのではない。抵抗もできない少年に無理に行為を強いていることが問われているんです〉

著者プロフィールを見る
下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。元上智大新聞学科非常勤講師。

下山進の記事一覧はこちら
次のページ