――アプガのサウンドは開放的でもあるし、野音のまわりの半径1キロぐらい巻き込んでカーニバルになるんじゃないかという期待もしています。先鋭的だけど、すごく親しみやすい音楽でもあるので。

杉浦 J-WAVEでアップアップの曲がかかったんです。それを私はたまたまカーラジオで聴いていて、「このサウンドをわかってくれる人がいるんだ」と思うと涙が出そうなくらい嬉しかった。その頃から少しずつミュージシャン間で「アップアップがすごい」という話が出だしていて、私も感激して(アプガの)メンバーに「アップアップがやっている音楽の素晴らしさ」を説明したんです。でもメンバーは自分たちの音がどれだけかっこいいか、よくわかっていないようでした。むしろ「つんくさんに曲を提供してもらいたい」とか思ってたかもしれない。でも、そういう話じゃないんだということを滔々と言いました。普通のアイドル・ソングは歌手の声をもうちょっと大きめにミックスするんだけど、これはEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)というジャンルで、全体の中に(声を)サウンドとして取り込んでトータルな響きとして出してくる。「すごいアーティスティックなことをやってるんだから、自信をもって」って、すごい励まして。michitomoさんやfu_mouさんの音作りが本当に素晴らしいし、あんな面白い歌詞もなかなか書けないと思います。私が自分の音楽活動で作る音楽はアンビエント・テクノなんです。だからEDMも大好きですね。アップアップの曲は洋楽好きの私にもかっこよく響きます。

 私はHΛLというチームにいたことがあるんです。浜崎あゆみ等のプロデュースを担当していたんですが、当時はまだアナログの時代です。たとえば72チャンネル分の音数があると、普通はどこかで音が相殺されて意味がない音が出てくるのですが、一つも重なることなく全部の音が聴こえてくる。なのに、耳にうるさくない。浜崎のサウンドってそこがすごかったんですけど、私は浜崎さん等でHΛLがヒットする前に、「隙間のない感じ」に疲れて、テクノの世界に行ったんです。そして梓みちよのテクノ・アルバムを1枚プロデュースしました(『AZZUSA』)。アート・オブ・ノイズやオービタルも大好きでしたね。

――しかも杉浦さんは、クラシックを始めとする豊富な音楽経験もお持ちでいらっしゃる。

杉浦 ただジャズは苦手なんですけどね……。幼いころからピアノを始めて、ずっとクラシック・ピアニストになろうと思っていました。1日8時間ぐらいピアノに向かっていました。楽しくてしょうがなかった。ピアノの前でご飯を食べていました(笑)。1つ年上の姉も、いま思えばすごいいいセンスを持っていて、ビートルズ、カーペンターズ、ベイ・シティ・ローラーズとか、その当時の流行っていたものを全部聴いていたんです。プログレッシヴ・ロックも好きでしたね。ピンク・フロイド、ジェネシス、ちょっとR&Bぽいけどアンブロージアとか。イエスのリック・ウェイクマンの音を重ねる感じがすごく良くて、死ぬほど聴いてました。流れるように弾くじゃないですか。「わー、素敵」と思いました。

 私は小さい時から飛びぬけた才能があって、人が歌っているのを聞くと勝手に伴奏ができるんです。どんなキーも弾けます。でも、高2のときに骨折をして、プロのピアニストになることをあきらめたんです。間に合わないんですよ、音大の受験に。ピアノって1日弾かないと、カンを取り戻すのに2日かかるんです。1日休んだら2日分後退するんです。だから骨折して1か月2か月休んだらもうアウトですよ。そのタイミングではもう無理だって話になって、大学では声楽を専攻しました。ソプラノです。アリアや歌曲を勉強しました。でもほとんど大学には行かず、その隣にある武蔵大学の軽音楽部に出入りしていました。ジョージ・ベンソンとかシャカタクが流行っていた時代です。たまに松田聖子を歌ったり、そんな感じで4年間を過ごしました。[次回7/13(月)更新予定]

■杉浦良美さんのホームページ
http://www.sugiura-method.com/