元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 ブックカフェで手にした伊丹十三氏のエッセイに魅せられて以来、原稿に行き詰まると伊丹十三を読む。早い話がエッセンスをパクりたいと思っているのだ。氏の自死の理由にも改めて興味が湧き、まさに興味本位で大江健三郎氏の『取り替え子』を購入。伊丹氏は大江氏の義兄で、その死の真相に迫った作品との解説に飛びついたのである。

 で、えええーと衝撃。

 興味がどう満たされたかという話は置いておく。というか、私が衝撃を受けたのは「そこ」ではなかった。

 この小説には確かに両氏がモデルであろう人物が登場し、その心情や行動に両氏を重ねずにはいられないのだが、何はともあれ主人公(大江氏の分身らしき老小説家)の置かれた状況がヒドイ。本は売れず、人々は氏の立派な主張を冷笑し、でも利用しようと近づいてくる。

 その不穏さに心落ち着かず、続編があると知り熱に浮かされたように読まずにいられず、すると事態は酷いことになるばかり。なぜかこの小説家はその「売られたケンカ」をいちいち買って出て、その買い方が、空気読めてないというか、イヤその方法はどう考えてもまずいっしょヤバいっしょという方向に走っていき、私は途中からもう涙目になり、でもなぜか本を閉じることができない。もはや笑えぬ喜劇の様相。主人公は大怪我までして、しかもさらにその続編もあるというではないか! なんちゅう人だ。不器用にもほどがある。そして強い。強すぎる。

 その大江氏が亡くなった。新聞はノーベル賞をはじめとした数々の受賞歴や平和運動などの社会活動を称えた。だが氏が時代の旗手であった時はとっくに終わり、今や平和運動も化石の如き存在。晩年の氏は時代に取り残される悲惨の中を生き、しかしどんなにズレても踏まれても自分は自分として生き抜いたのではないか。どんな代表作より、そのことの困難さと滑稽さ、しかしだからどうしたという精神を描いた晩年の著作に今の私は我が事として心打たれる。

地獄のピアノ演奏旅行(笑)先の浜松で人生初の静岡おでん。しぞーかおでんと発するそうな(写真:本人提供)
地獄のピアノ演奏旅行(笑)先の浜松で人生初の静岡おでん。しぞーかおでんと発するそうな(写真:本人提供)

◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2023年3月27日号