ベストセラーの定番のなかに「ご長寿女性によるエッセイ」というジャンルがある。著者はいまもその道の現役で、しかも一人で生きてきたという人が多い。
 60代、70代の男がしたり顔で人生を語ったりすると、了見の狭いぼくは思わず反発してしまうのだが、こうした本の言葉は素直に聞ける。困難な時代を生き抜いてきた人だからこそ語れる重みがあるからだ。
 篠田桃紅『一〇三歳になってわかったこと』もそうした一冊。
 篠田桃紅は美術家で、墨による抽象的な絵画を描いてきた。伝統的な書とも欧米の抽象表現主義とも違う独特な造形だ。内外の美術館や公共施設でコレクションされている。
 篠田桃紅は1913(大正2)年生まれで、数え103歳になった。帯のポートレートがいい。着物をゆったりと楽に着ている。最近の着付けはピシッと張りつめたようにするのがトレンドだけど、彼女のようなベテランの着方を見ると勉強になる。
 感心する言葉がたくさん詰まっている。たとえば、歳をとるほど自由になるという話。
 歳をとれば身体が衰え、行動範囲も限られてくる。歳をとるとは不自由になることじゃないかと思っていたのだが、篠田は逆だという。「この歳になると、誰とも対立することはありませんし、誰も私とは対立したくない。百歳はこの世の治外法権です」と。冠婚葬祭を欠かしても非難されることはない。憂き世の義理から自由になるのだ。
 寂しい、孤独が怖い、という人も多い。でも彼女はそう考えない。孤独はあたりまえで、「一人の時間は特別なことではなく、わびしいことでもありません」「人に対して、過度な期待も愛情も憎しみも持ちません」という。24歳で実家を出て以来、ずっと一人で生きてきたからこその言葉だ。
 一人で暮らすお年寄りを、世間は「かわいそう」といったりする。実は篠田桃紅のような人も多いのかもしれない。

週刊朝日 2015年5月22日号