通常より早く連打し、緊急事態であることを知らせる。イラスト/瀬川尚志

 さらに、早馬以外に使われた方法として、陣鐘や法螺貝もあった。

 神奈川県藤沢市の遊行寺には、延文元年(1356)に鋳造された銅鐘がある。かつて遊行寺は、伊勢宗瑞(北条早雲)と三浦道寸との交戦で全山が焼失した際、銅鐘も北条氏によって小田原に持ち去られた。

 その後、この鐘は陣鐘として用いられたが、寛永三年(1626)十二月に戻ってきた。陣鐘は、寺院の鐘を転用した例が少なくない。

 また、長野県佐久穂町の自成寺の鐘は、武田信玄が寄進したという「明応八年(1499)未十月吉日作之」の銘がある。この鐘も、陣鐘として用いられた。長野県松代市の真田宝物館にも、「弘治三年(1557)八月日」の銘を持つ陣鐘がある。明智光秀が坂本城(滋賀県大津市)で用いた陣鐘は、光秀の菩提寺の西教寺(同上)に所蔵されている。

 法螺貝は密教儀式の法具で、行者が山岳修行の際に猛獣を追い払うために用いた。法螺貝の音はよく通るので、出陣の合図としては最適だったと考えられる。

 このほか、武田氏は狼煙を使うことで、広い領国内で情報伝達を行ったという。ただし、陣鐘、法螺貝、狼煙は、事前に約束事(鐘の合図の意味など)を決めておかなければ、まったく意味をなさなかった。

※週刊朝日ムック『歴史道Vol.29戦国時代の暮らしと作法』から

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