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 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、ジャニーズ事務所性加害問題と#MeTooについて。

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 仮面舞踏会が大ヒットした時、私は中学生だったが、ヒガシの美しさに衝撃を受けたことを覚えている。「ヒガシを光源氏役にして『源氏物語』を大河ドラマで放映してください!」と、NHKに手紙を出そうと思ったこともあるほどだ。

「少年隊」は、ニューヨーク仕込みのダンスで、これまでのジャニーズと全く路線の違うアクロバティックなダンスで女の子たちを熱狂させていた。とはいえ洋楽が全盛期の1980年代、「アンニュイ」な大人の女に高校生が憧れていた当時、アイドルにはまるのは小学生がすることであった(という認識が、少なくとも私にはあった)。今のように中高年女性がアイドルのライブに熱狂するなど考えられず、むしろ「女の子」を相手にする男の子のアイドルは決してオシャレではなく、むしろ「ださい」存在だった。

 2022年に、文春オンラインで公開された「少年隊」のニッキの記事を読むと、本人たちも葛藤していたことが分かる。ニッキがアイドル全盛期の頃を振り返ったものだ。

錦織 俺がカッコいいって思うのは、生まれたばかりの赤ん坊とかいてさ。嫁と子どもを食わすために、いわゆるエレベーターがついていないようなコーポに住みながら、生活を守るために長距離トラックを走らせてるような男がカッコいいって思うから。だから「アイドルってカッコいいのか?」ってずっと疑問だった。それは今でも答えは出てないけど。

 かなりの衝撃である。長距離トラックを走らせながら女房子どもを養う男、しかも「エレベーターのないコーポに住む」というイメージを「男らしい」と思っていた、いわば「高倉健」を目指していたような男の子が、全身スパンコールの衣装を着けて女の子たちにキャーキャー言われるのは、やはり忸怩たるものがあったのだろう。それは決して、ニッキだけの苦しみではなかったのかもしれない。学ランの丈を短くし、太いパンツを細いベルトで締めあげるヤンキーファッションが「カッコいい」と憧れられていたようなビー・バップ・ハイスクールな時代に、キラキラの衣装で「女の子相手に」踊ることを男の子自身が「恥ずかしい」と感じる気持ちはどこかにあったのかもしれない。

 という意味で、「アイドル」として成功した男の子たちが、どのようにアイドルから脱皮し、芸能界で生きのびていくのか……という難しさは、SMAP登場以前のジャニーズスターたちの共通の課題だったのだろう。ジャニーズを円満退社し、アーティストとして俳優として大成功できるモックンに、誰もがなれたわけではない。大人の男性になる道は厳しかっただろう。アイドル感たっぷりのまま突き進む郷ひろみが正解なのか。絶大な人気を盾にアイドルから国民的大スターになり、ジャニーズに残り続け俳優としてキャリアを重ね続けてきたキムタクが正解なのか。事業家感を身につけたヒガシが正解なのか。

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競争社会=男社会の縮小版