ジャニーズ事務所の会見は、中世ヨーロッパの王朝崩壊を描く絵画のように見えた。
向かって右端には王家を守るために目を鋭く光らせる法律家。その隣には、莫大な遺産と権力をそのまま手渡され、現実に戸惑い、大きな目に不安と恐怖の色を浮かべる年を重ねた孤高のプリンセス。その左には仮面舞踏会で見初められた野心家の大臣。幼い頃から遊んできたプリンセスを守り、そして王国を絶対に守る意気込みで雄弁に語る。一番左には良心との葛藤に苦しみ、本気で希望を子どもたちに手渡そうとする大臣。あ、妄想ですよ、妄想。
そういう王朝から生まれたスターは、多くの光と闇を私たちに見せてくれた。
一度崩れかけてしまった王朝を復興するのは相当な難しさがあるだろう。それはいくら、スターたちが光を見せてくれても、厳しいものがあるかもしれない。というよりも、アイドルを生み出す装置、スターという人たちが見せる光がつくる影というものを、社会が考える時代になったということだろう。スターが見せる光を当然のように娯楽として消費しながら、そこで起きている事件や暴力には無関心を貫き、見ないようにしてきた「私たち」や、ビジネスとして利益を生んできたメディアのあり方が問われる。
そして「被害者」であることを公言できない、被害者にさせられたことに対する偏見を、ジャニーズ事務所の人たち自身が持っていることも、この問題が明らかにできなかった要因だ。男性ばかりの組織で、女性ファンに向けて男性性を極力薄めたような社会は、実は生き残るためには強烈なマッチョさが求められるような社会だったことが、今回の会見で垣間見えた。男性たちが被害を訴えられるようになるには、堂々と「私は被害者だ」と言うことができ、その人々への経緯を社会が示さなければならない。#MeTooはまず#With Youから始まるのだ。
アイドルからの脱皮は、「誰よりも男らしく成功すること」だったかもしれないが、#MeToo後、そんな男からの脱皮をすることが、社会を変える力になるのだと思う。「男らしさ」を身に着け生き抜いたヒガシには難しい道かもしれない。頑張ってほしい。