――そもそも若き血とはどんな歌なのでしょうか。 

 若き血は慶応義塾の応援歌で、東京六大学野球の応援で誕生しました。1927(昭和2)年の秋のことです。当時の六大学野球で、慶応はリーグ優勝はしても、どうしてもライバルの早稲田に勝てずにいました。その原因は早稲田の校歌「都の西北」の大合唱に対抗できる歌が慶応にないからではないか、と考えられました。 

1974年の東京六大学野球。神宮球場の早稲田大学側の応援席には、毎試合のように数千人が駆けつけ、“大音量”の声援を送っていたという

歌詞に深い意味は無い!?

 そこで、当時の予科生(=現在でいう高校生の年代)が応援歌を作るべきと考え、塾OBである音楽評論家の野村光一氏に相談し、野村氏の推薦で当時は駆け出しの音楽家だった堀内敬三氏に作詞作曲を依頼したのです。堀内氏は当時、NHKの洋楽主任を担当しており、アメリカから帰国したばかりでした。 

 早稲田に勝つためという予科生の依頼ですから、堀内氏は、とにかく威勢のいい言葉を並べたアップテンポの曲で、歌詞に深い意味はないと後に語っているほどです。 

 実際に歌詞は「若き血に 燃ゆる者 光輝満てる 我等」から始まります。 

 この歌の誕生で慶応は早慶戦で本当に早稲田に連勝し、黄金時代を迎えていきます。これに対抗して早稲田は「紺碧の空」を作ります。 

 また、若き血の歌詞の最後は「陸の王者 慶応」と締めくくられます。野球以外の競技の応援にも使われ、ボートや水泳でしたら陸を水に言い換え、「水の王者 慶応」などとアレンジもします。 

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