城西時代の大武(本人提供)

 3年前の2020年夏、新型コロナウイルスの流行で選手権大会は中止となり、当時の3年生は夢や目標を絶たれた。今なおもがき前を向こうとする者、次の舞台へと舵を切った者。コロナ以前の夏に戻りつつある今、そんな彼らの声に耳を傾けたい。「甲子園2023」(AERA増刊)の記事を紹介する。

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「最後の夏の大会は必ず一生の思い出になりますし、一生の財産にもなると思います」

 今夏の地方大会の開幕に寄せたヤクルト村上宗隆のコメントを見て、そうなんだよ……と思った方も多いだろう。だからこそ、新型コロナによって選手権大会が戦争中以来の中止となってしまったときの3年生部員たちのことを考える。むごい決定を、ただ受け入れるしかなかった彼ら。今も9割がもがいている、とも言われる。

 武蔵野大学3年生の大武優斗は中学時代、東京の新宿シニアでプレーしていた。レベルの高いチームで、彼が中学1年のときの先輩たちは全国3位。彼が中学3年のときは全国でベスト32で、そのチームで背番号12の控え捕手だった大武は《上には上がいるな》と思い、《プロには行けないけど甲子園なら可能性はあるんじゃないか》と考え、城西(東東京)に進んだ。

 ただ、小・中と捕手をして膝に負担をかけたせいか脛骨の成長軟骨部が剥離してしまうオスグッド病になってしまい、練習ができたり、できなかったり。2年の秋、新チームが負けてからようやく練習に復帰したとき、こう思った。

 《あとは3年の春と夏だけ。もう膝がどうなってもいい。ここでやり切るしかない》

 痛み止めを打ちながら練習した彼は春の大会前、3番・センターのレギュラーの座をつかんだ。

「2年間もらえなかった背番号を、やっと……。なのに春の大会がコロナで中止になってしまい、僕は、その背番号を付けることができませんでした。それでも、まだ夏がある、と、皆、必死にやっていました。テレビやツイッターで、夏の甲子園が中止になるかも……という情報が流れても、まさか、と、チームの誰も信じていませんでした」

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集まって練習しちゃダメ、という状況