個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は「背中の痒み」について。
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孫の手ってありますでしょ。
背中とか、痒くて掻きたくてもなかなか手が届かない箇所を掻くための道具。という説明で合ってるかな。
僕の母親も昔、「あ~かいい~かいい~(おそらく名古屋弁。痒い~痒い~の意)」と言いながら、よく孫の手を背中に差して使ってました。
でもウチね、孫の手がないんです。なぜかは分かりません。単に買う機会がなかったか、買うこと自体、思いつかなかったか。
いろいろ妻から命じられた買い物をメモすることはありますが、なんと言いますか、孫の手って、そこまで「なにがなんでも買わなきゃ!」ってなかなか思わないような気がします。ないと生活が立ち行かなくなるほどの必需品ではないけど、背中が痒くなった時に「あぁ、ウチ、どっかに孫の手あったっけなぁ、あるなら今、使いたいなあ」と、そんな感じだと思うんです。
ですが背中は、人間、誰しも痒くなるものです。もう、万国共通、老若男女、さらに悠久の時を経て歴史上の人物も、人間である以上、皆、必ず、たまには背中が痒くなるものなのです。
たかが背中が痒いことに関して、随分と話を大きくしてるじゃないかとお思いかもしれませんが、「俺はな、波乱万丈な人生を生きてきた。山あり谷あり、酸いも甘いも、すべての経験をしてきたんだ。だがな、背中が、背中が痒くなったことだけは、この67年間、一度も、一度もないんだよぉぉおおお!!!」と言ってる人に出会ったことはありませんし、出会ったらちょっと暑苦しそうな人で厄介だなと思うでしょうし、いま「おもうでしょうし」と打ったら(この原稿、ガラケーでポチポチ打ちながら書いてます)、「小藻生で少子」という全くの謎の変換がされましたが、そしてこの人をなぜに67歳の設定にしたかはさらに謎ですが、要するに「みんな、背中、たまに痒くなるよね」ということなのです。