その作戦を後押ししたであろうものは、「女性宮家」問題だろう。次代を担う世代の男性皇族は秋篠宮家の悠仁さまだけ。そういう事態に、議論されている。と言っても、有識者会議がまとめた案を国会は受け取っただけで、事実上たなざらしにしているのだが、とにかく政治的な事項になっている。
そういう状況にあって、佳子さまの一人暮らしの理由を「独立心」と公表したとしよう。佳子さまが「女性宮家を望んでいる」証左のようにされる可能性もある。そう部外者の私が思うのだから、宮内庁は全力で思ったに違いない。そんなこんなでまとまったのが、「節約のための一人暮らし」だったと論を進めて思うのが、佳子さまはどう感じているかということだ。
佳子さまはとても率直な女性だ。2019年、国際基督教大学を卒業するにあたっての文書回答での「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」はとても有名だ。最近の公務で目立つのがジェンダー平等への理解と関心で、20年から22年まで「国際ガールズメッセ」に寄せたメッセージでは、「誰もが人生の選択肢を増やすこと」「自らの可能性を最大限生かしていけること」「それが当たり前の社会になること」を述べている。今という時代をきちんと見て、当たり前に生きている女性なのだと感じる。
だから佳子さまはきっと、「独立したいから、独立しました」と言いたいに違いない。それなのに、「節約のための一人暮らし」などということになってしまった。寿退社一択しかない女性皇族の世界。その苦しさに加えて、秋篠宮家をめぐる国民の空気もあると思う。大理石があってシャンデリアがあると、「ベルサイユ宮殿」と断定する。税金の無駄遣いという見方が一定の共感を得てしまう。それが日本の今だということで、宮内庁はそこも意識して、中途半端な「節約理論」を構築したのではないかと思う。
人生のアタリとハズレは親次第。それを親ガチャと言われると、確かにそうだなと思う昨今だ。だとすると、女性皇族という立場の親ガチャはアタリなのだろうか、ハズレなのだろうか。「佳子さまは一人暮らし」の公表で、そんなことまで考えてしまった。