〈マンガや映画から原爆の恐ろしさを学ぶ一方で、それほど恐ろしい原爆を、私たちは楽しんでもきた〉〈人びとは、ポピュラー文化を通して、核を恐れる態度を身につけるとともに、核を歓迎してきたのだとも言える〉。山本昭宏『核と日本人』の冒頭近くに出てくる言葉だ。
えーっ、そう? という疑問の声が出そう。が、本書を読めば誇張じゃないことが理解できるはず。
1945年から50年代前半までの占領期。日本人は原爆を特に忌避してはいなかった。核への恐怖が芽生えたのは54年、ビキニ環礁における核実験で第五福竜丸が被曝した頃からだ。『ゴジラ』は核の恐怖を内包した作品だったが、同じ頃、アメリカは「原子力の平和利用」へと政策の舵を切り、日本でも「平和利用」キャンペーンが華々しくはじまった。そちらの思想は『鉄腕アトム』に体現されている。
というように、1945年のヒロシマ・ナガサキ後から2011年のフクシマ後まで、日本社会は原爆や原発をどのように描いてきたかを本書は執拗に追うのである。
主人公が放射線を浴びて超能力に目覚めたり、登場人物が被爆者だったという「薄幸の被爆者」という定型が繰り返された60年代。原子力施設が破壊される特撮ドラマが流行した70年代。『AKIRA』や『北斗の拳』など「核戦争後」を描く作品が登場した80年代。しかし、と著者は指摘する。核戦争後の世界に〈放射線による環境汚染や健康被害は描かれないのである〉。
核の軍事利用と平和利用。核武装論と核廃絶論。二つの言説が温存されてきた一因は〈社会を揺るがす大きな出来事を画期として捉え、それ以前と以後とで時間を分ける思考法の存在〉ではないかと著者はいう。この発想は、やがてインパクトを失うのだ。ほんとだ! 3.11もまさにそれだもんね。
書名は地味だが中身は充実。新書一冊に詰め込むのはもったいないほどの情報が詰まった労作だ。
※週刊朝日 2015年3月20日号